rumipianoのへっぽこるみ日記。

即興ピアニストrumipiano(岡本留美)のブログです。日々のつれづれ、脳内日記(創作日記)、演奏会情報などを載せています。YouTube公開中(『youtube rumipiano』で検索)。ホームページは「rumipiano ホームページ」で検索するとご覧いただけます。お問い合わせはrumipianosokkyo@gmail.comまで。

夜分にお姉さんとお話しする。

Amazonからパソコンにメールが来ていた。

「お客様のご要望の通りアカウントのアドレスを◯◯◯◯◯に変更いたしました」

 

ご要望した覚えはない。

メールを見たのは夜の10時過ぎ。

アカウントの乗っ取り、というやつか。

焦った。

カード決済は一切していないけど焦った。

 

メールでの問い合わせもまだるっこしかったので、スマホAmazonのカスタマーセンターの電話番号を調べてに電話した。

すぐに担当にお繋ぎされた。

すごいなぁ、こんな夜分にこんなにすぐに繋がるんだね、Amazonは。てっきり「営業時間内にお掛け直しください」というような電子音声か流れるだけかと思った。

ネット関係には頗る弱いわたしの要領を得ない話の要領をお姉さんは穏やかに的確に把握する。

アカウントサービスに入れるかどうかをお姉さんは聞いたが、焦燥感と恐怖感しかなかったわたしはろくに試しもせずに「入れません」と言ってしまった。

するとお姉さんはわたしを安心させるためにいろいろ考えてくれたが、アカウントの凍結はできないということだった。

事態を専門部署に連絡して調査した結果をパソコンのメアドまで送ってくれるということで一旦は終結した。

 

電話を切った後、Amazonのサイトを開いてみると、「ようこそ◯◯◯◯さん」とわたしの名前が出てきた。サインインの画面まで行けた。そこにあったメアドは、Amazonからのメールにあったメアドとはまた違っていた。短時間で更に第三者が変更したのだ。

パソコンの画面をそのままにして再度カスタマーセンターに電話をした。とにかくアカウントを凍結してもらいたかった。

今回もすぐに先ほどとはまた別のお姉さんが出て来た。

前のお姉さんとのやりとりを手短かに話し、サインインの画面に行けたことを伝えた。するとお姉さんは名前やら住所やらいろいろと穏やかに聞いてきたのでなるべく丁寧に答えた。「購入履歴の最後が『ムーミン谷の冬』のキャンセルですね」と問われ、ああそうだったな、近所の書店で注文したら「注文できない」って言われてAmazonで注文確定した翌日に他の本屋に置いてあったのを買ったのだった。ちょっと気まずかったが、その前にはAmazonで「手乗りちゅっちゅ」(首を傾げながら囀りしたりいろいろ歌を歌ってくれたりしてかわいいおもちゃ。うちのインコさんたちにも概ね好評。)色違いで二つ買ってるし(後から買ったほうが先に買った方と比べて些か元気がない。おとなしいたちなのだろう。2人で合唱するときもある)まあいいかと思い直した。

無事アカウントの凍結処理をしてもらった。

 

お姉さんたち、仕事とはいえ夜分にすごいな。朝寝昼寝していたとしてもすごいよな。

早朝に電話してもあんなに穏やかなお姉さんがすぐに出てくるのだろうか。試してみたいけれど早朝に起きるのは気がすすまない。無理やり起きた朝は心臓がバクバクして寿命が縮む気がする。それにお姉さんたちに無駄な仕事を増やしちゃいけない。

 

Amazonのセキュリティが軟弱なんじゃないか、とか、Amazonで買うとお金は日本を素通りしてしまうんだろ、とか、アマゾン川は雰囲気的にアフリカかと思ったら南米なんじゃないかとかお姉さんに対してAmazonについての文句はいくらでも言えるだろうが、それよりもこんな時間に顔の見えない相手に気を使いながら穏やかに対応するうら若きお姉さんたちの働きを思うとそんな気も失せて、夜分にありがとうございますなどとつい労いの言葉をかけて電話を切った。 

神を聴く。

上野の東京文化会館にピアノを聴きに行く。友人と上野で待ち合わせて黒船亭でお昼を頂き文化会館に向かおう、という計画だった。

新宿に着いたとき友人からメールが入る。

御徒町で待ち合わせして上野までぶらぶら歩くのはどう?」

おかちまち?

山下洋輔が5拍子を数えるとき「『お・か・ち・ま・ち』って数えるといい」っていってたっけな。あの「御徒町」か!ってどうやって行くんだ?総武線とか京浜東北線とかにありそうだな。地下鉄の有楽町線にもありそうだな。でも新宿からどうやって行くのだろう?

御徒町って何線?とメールした。

「上野の次だよ」

ほほう。そうであったか。

山手線なのね。

上野の次なのね。

初めて知ったよ。

上野までしか乗らないからな、いつも。

 

御徒町に着くと、駅前の道路がなんだか物々しい。緊急車両がいた。味噌ラーメン屋のビルから煙が出ていた。細いビルの密集している地帯。火事による異臭が付近に垂れ込めていた。怖かった。タオルハンカチで鼻を抑え上野方面に急いだ。

 

黒船亭でコートとスヌードを預けたとき、あの匂いに燻されていたのに気づいた。

黒船亭は何を頂いても美味だった。食事の後のパウンドケーキも中身がぎっしりで後味も大変良かった。

 

それから東京文化会館へと向かう。

岡田博美のピアノリサイタル。

ほぼ毎回聴きにいく。

そして毎回圧倒される。

これでもか、これでもかと圧倒してくる。

「ヒロミー!」と黄色い声をあげたくなる(黄色い声をあげてもいい年齢制限を大幅に超えているのだろうが)。

そのうまさたるや悪魔的であり変態的であり神的である。

 

ステージにさっと登場し、するりとプログラムの最初の曲であるJ.S.バッハの『半音階的幻想曲とフーガ ニ短調』を弾き始める。するとまもなくわたしの左目の視界の端でホールの壁際をすっとステージの方へ向かうかげのようなものを捉えた。姿はなかった。

この世離れをしたようなフーガが終わり、ベートーヴェンピアノソナタ『ワルトシュタイン』が続く。聴いているうちに瞑想状態のようになる。

休憩後の始めはリストの『超絶技巧練習曲 第9番 回想』。聴いているうちに酩酊状態のようになる。

そして、リャプノフの『超絶技巧練習曲第10番 レスギンカ』。聴いているうちに金縛りにあったようになる。

次は、マラフスキの『ミニアチュア』。超絶技巧練習曲が続いたあとの小休止のような趣きなのだろうが、聴いているうちに魂ごと吸い込まれていく。

ラストはリスト『ドン・ジョバンニの回想』。もうダメだ。凄すぎて笑うしかない。

人間はあまりに凄いものを見せ続けられると笑うしかなくなるのだろうか。

アンコールはまずダカンの『かっこう』。シンプルな曲なのにこれでもかと離れ業を見せてくる。天鵞絨のような音のつながり。美を超えている。神だ。

そしてブラームスの『ハンガリー舞曲第6番』。またまた変態的。愉快で死にそうになった。

最後がドビュッシー『月の光』。

これを持ってきたかぁ!!

意識が飛びそうになる。

そして「もう弾かないよ」と言うかわりに、ぱたっとピアノの蓋を閉めた。おちゃめさんなポーカーフェイスだ。

 

岡田博美は派手さはないが実直でしかもスーパークールな相貌でしれっと超絶技巧をこれでもかこれでもかこれでもかと嬉々としてかましてくる。その上さらに表現がまたなんともうまいのである。

弾いているときは静かに熱く、弾いた後は淡々と舞台袖に引き上げていく。

神であり悪魔であり変態である。

本当に魅力的なピアニストだ。

岡田博美のピアノを聴くたび思う。

生まれてきてよかった。

うつといっしょ。

このところ暇さえあれば寝床に入ってしまう。おふとんの中で本を読んだりまどろんだりしている。こうしている時間がなによりもラクだ。

こんな感じなので、ピアノを弾くところまでなかなか辿り着かない。半期に一度の演奏会までひと月を切ったのにな。どうなることやら。

 

寝床で読むのはムーミンシリーズ。

小さい頃にムーミンのアニメを見たことがあったが、なんかモヤモヤしてるなと思っていた。

 

ムーミンは人気のあるキャラでグッズもたくさん売っているし、結局は可愛らしいほんわりしたものなのだろうとタカをくくって読まずにいた。

ムーミンの本はなかったが、家には背丈が140センチくらいと思われるビニールのニョロニョロがいた。ニョロニョロの足元に重りが入っており、ぽいんぽいんパンチをしてはニョロニョロが起き上がる、というものであった。

起き上がりニョロニョロの1代目が空気が抜けてお別れし、2代目を連れて来たがあっという間に空気が抜けてしまってそれきりだ。

ニョロニョロは目が見えない、耳も聞こえないとは知る由もなかった。

 

冬眠中のムーミンが起きてしまう話がある、というのをつい最近どこかで知って、これは読んでおかないといけないと思った。それが『ムーミン谷の冬』との出会いだった。

 

ムーミンシリーズには火山の噴火や洪水や台風など自然災害がよく出てくる。

人間はほとんど出てこない。

底辺には鬱が横たわっているのを感じる。

ムーミントロールスナフキンを始めいろんなキャラクターが登場するが、みんな気分の浮き沈みが激しい。シベリウス交響曲フィンランディア』を想起させる。鬱全開の曲想から始まり、鬱がタン、タカタカタッタンと高まり途中からグワーっと躁全開に転換する感じと重なる。 

 

空気が冷たくなる季節は鬱が目覚めやすい。

自分の中に鬱を発見したのはジャメヴ体験をした小学六年生の頃。

それから数年は鬱が膨張してどうにもならなかった。

自分で引き受けるしかないと悟り、飼いならすことにした。いわば持病のようなものである。

 

鬱には効用もある。

どんな効用かは秘密。

 

鬱がきたらとりあえず付き合ってあげる。

ふとした拍子にやってくる。

なんとなくの鬱、だったり、ちゃきちゃきの鬱、だったり程度の差はあるけれど。

その度に最初は動揺してしまうものの、次第に鬱に歩み寄って行く。

鬱でいるのもそんなに悪くない。

ムーミンシリーズや内田百閒の『東京日記』などを読んだり、バッハの『フランス組曲』やキリンジの『ペイパードライヴァーズ・ミュージック』や『47'45"』などを聴きながらまどろんだりして鬱と戯れる。曇り空や晴れ渡った青空の午前中や昼間は絶好のまどろみ日和だ。

そんな時は同居のインコたちも優しくしてくれたりするから不思議だ。

やがて胃腸から抜けていく時もあれば、小さくしぼんでいく時もある。

 

うつといっしょ。

そんなときがあってもいい。

再び、夢。

こんな夢を見た。

 

朝起きて、洗面所の鏡の前で歯の仮磨き(歯ブラシで軽くブラッシングすること。ちなみに歯磨き粉を用いた本磨きは朝食後に行うのが習慣)をしようとしている。

仮磨きをする自分の姿を鏡で見る。

歯ブラシの代わりに先の尖った包丁で磨こうとしていた。

ハッとして慌てて歯ブラシに持ち替えた。

 

…どうもこのところ妙な夢が続いている。

冬眠のような生活をしているせいだろうか。

夢二夜。

こんな夢を見た。

紺のスーツを着ている(普段は滅多に着ない、というか持っていない)。

どこかの公立中学校に赴任になったらしい。

校舎に沿って巡らされている校庭の花壇のあたりを何となく歩いていたら、校長と思われる人物がわたしの靴を指差して

「それは上履きじゃないか君!」

と高圧的に叱られた。

めんどくさいやつだな、と思った。

同じく新しく赴任した女の副校長らしい人物が、職員を前に赴任の挨拶を英語でし始めた。

うっとうしいやつだな、と思った。

よく見たら自分の中学の頃の口うるさい担任の英語教諭だった。

あーあ、また窮屈そうな学校に戻ってきちゃったなと泣きたくなった。

 

こんな夢を見た。

どこかを歩いている。

曇り空。

飛行機工場の横を通り過ぎた時、工場の上空に白いボディでグレーと青のラインの入った飛行機が飛んでいた。尾翼のあたりから紐状のもので大きな卵のようなものを機体の後方に凧のように戦がせていた。

するとその飛行機が卵と一緒にすっと落下した。墜落してしまったらしい。白い煙がすうっと上がっていた。火炎は見えなかった。

その工場の隣には古い五階建ての建物があった。東大薬学部、と書いてあった。

おっしゃる意味が…

学生時代のこと。

異性との付き合ったことがあった。

彼はバイトで忙しかったので、なかなかデートもできなかった。

ある時、電話で話していた。

彼「バイトが忙しくてなかなか会えなくてごめんね」

私「いいよいいよ。稼がなくちゃいけないんだから仕方ないでしょ」

彼「君はいつもそうだ。『でも会いたいからバイト休んで』とか言えないのか」

私「だけど必要だからやってるんでしょ」

彼「君は実家暮らしだからわからないかもしれないけど、下宿暮らしはさみしいんだよ」

私「でも必要だからバイトしてるんでしょ」

 

…よくわからなかった。今でもわからない。

 

フリーター時代のこと。

異性との付き合ったことがあった。

一緒に飲みに行って、彼が殊の外酔っ払った。

もう終電は過ぎていた。とりあえず近くのバス停のベンチまで行って座らせた。彼の酔い覚ましになるかと思いポカリスエットを買いに行った。戻ってくると彼があられもない姿で崩れ落ちていた。しばらく様子を見ていた。すると彼が起き上がろうとしながらこう切り出した。

彼「悪いね」

私「いや、いいよ」

彼「でもなんでこんな情けない俺のそばにいるんだ君は」

私「こんなになったら置いていけないじゃん」

彼「なんでこんな俺のそばにいるんだ…なんでこんな…なんで…」

私「じゃ、帰るわ」

それからタクシーを拾い家まで帰った。

翌日、倒れたままでなんとかなっていないか見に行った。彼の姿はなかった。

後日…

彼「なんで俺を置いてったんだ?目が覚めてみたらいないんだもん」

私「だって『こんな情けない俺となんで一緒にいるのか』みたいなこと何回も言ってたから、情けない姿を(私に)見られたくないのかと思って帰ったんだよ」

彼「そうじゃないだろ」

 

…よくわからなかった。今でもわからない。

 

もうちょっと大人になってからのこと。

異性と付き合ったことがあった。

使っていたガラケーの調子が不安定になっていた。スマホユーザーもぼちぼち増えていた。ガラケーにこだわり続けようかスマホに移行しようかやや悩んだ。そこで彼にも相談してみた。一緒にいろいろ見てみて、ガラケーでいいんじゃん、ということになった。

しかし新しいガラケーがどうも前の機種よりもショボかったのである。

私「今度のガラケー絵文字とかショボいんだよね。スマホにしたほうが良かったかな」

彼「そっかぁ。君にガラケーを進めちゃったから悪かったね」

私「いやいや。いいんだよ。」

彼「いや、自分がアドバイスしたから悪いなと思って」

私「いや、結局自分が判断したわけだからあなたは悪くないよ」

彼「いや、でもなんか責任感じるよ」

私「いやいや、だって最終的には自分で決めたんだからあなたのせいにはならないよ」

彼「いやーなんか悪かったよ」

私「だって『あなたがガラケーにしたらって言ったからガラケーにしたのに』って言うのはおかしいでしょ、自分で決めたんだから」

彼「でもさぁ…」

 

…よくわからなかった。今でもわからない。

 

聞き分けが良すぎるのだろうか?

それとも何かが決定的にちがうのだろうか?

世間の女子はどんな巧妙な駆け引きをしているのだろうか?

考えると気が遠くなる。

ちなみに同性とはこんなやり取りになったことがないように思う。

この三つの例に登場する彼がいずれも「長男」であることと関連があるのだろうか。

そう言う私は「長女」である。

原風景徒然。

物心ついたあたりから幼稚園の年長までを町田駅から神奈中バスで20分ほど行く団地で里山とコンクリートアスファルトに囲まれて過ごした。

 

幼稚園も公園も友達の家もおやつのメロンアイスを買う店も歯医者も小児科も団地の中にあったので余程のことがないと団地からは出る必要がなかった。銀行も郵便局もあった。なぜか埼玉銀行が入っていたような覚えがある。銀行の前で一万円を拾ってママに渡した覚えがある。その一万円の行方は覚えがない。

障がいがあった弟の世話にかかりきりのママだったので、歯医者には3歳くらいからひとりで通院していた。すぐ歯茎がぷくっと腫れるのでその度に注射の針で膿を出されていた。診察室で親とともに来院しその上ギャーギャー泣いている小さな輩たちを見ると、いちいち泣くなバカと冷めた目で見ていたのを覚えている。

余談だが、小学校高学年の頃に学校で「知能テスト」というものを一斉に受けさせられた。その結果で精神年齢が20歳と出たらしく三者面談の時に担任から心配されたことがある。

 

団地暮らしで幼少の頃から土よりもアスファルトに馴染んでいてせいか、今でも出来立てホヤホヤで湯気の立つアスファルトの匂いが大好きだ。水分とアスファルトを配合したようなあの芳香がたまらない。思いがけず舗装工事に出くわすとつい深呼吸をして味わってしまう。

 

自分が住んでいた団地の棟の真ん前に急な増水に備えた調整池があった。池の周りは緑の金網が張り巡らされていた。夏になるとよく蛙がゲコゲコ言っていた。夜の調整池を窓から眺めるのが危険な香りがして好きだった。

 

どうもタワー状のものに目がないのだが、多分これは団地時代の給水塔との出会いのせいだろう。ノスタルジーと繋がったものにはどうも抗えない。

青空にすっと伸びる白いフォルムを下から抱きつきながら眺めてはうっとりしていた。今でも給水塔に出会うとうっとりしてしまう。流石に抱きつくことはない。

 

壁面に1-18などと大きく数字が書いてある団地の四角い建物自体にも独特な趣がある。数字がいくつまであるのかワクワクしながら数字を追いかけた。

団地は1街区から3街区まであった。

自分の家がある1街区から追い始め、2街区、3街区と進むうちに迷子になった。「知らない家から電話がかかってきて『お宅のお子さんが来ていますよ』って言うから取りに行ったのよ」と母がその当時のことを回想していた。

 

団地から出るのは、小田急線に乗ってお出かけするときか、小田急デパートに行く時か、耳鼻科に行く時くらいだった。

家出をしたことがあった。何かが気に食わず親と言い争いをした(恐らく第一次反抗期だったのだろう。因みに第二次反抗期は二十歳代の暮方あたりだったように思われる)。お小遣いもまだ持たされていない親の庇護下の小児ではバスに乗ったりもできず、団地の中を三輪車でグルグル徘徊したり三輪車をひっくり返して車輪に石や枯れ枝を入れたりしてカラカラまわしたり(これは「やきいもやさんごっこ」と命名されていた)して時間を潰し、空が暗くなり星も出はじめて仕方なく家の玄関のブザーを押したのであった。

未だに団地に出くわすと散策してしまう。団地には緑や陽だまりが多い。ベランダが南向きでお風呂にも窓がある。マンションにはない醍醐味だ。

『団地日和』というDVDを持っている。団地に住む奥さんが主役ではない。主役は団地だ。団地の中でもスター的団地たちをほんわかした打ち込みっぽいボサノヴァサウンドにのせて紹介している。

DVDのおわりに『住宅公団の歌』というのが収録されている。日本住宅公団の団地への夢と野望と幻想に溢れた隠れた名曲だ。UR都市再生機構となった今、『住宅公団の歌』はどうなっているのだろうか。

津幡夫婦のドキュメンタリー『人生フルーツ』を観ると住宅公団の団地開発の負の面も知ることができる。

団地で多感な季節を送ったせいか、今でもふとあの団地を訪れることがある。同じくあの団地に住んでいたことがあるという小林稔侍も時々訪れるとどこかで聞いたことがある。