へっぽこるみ日記。

毎日毎日日が暮れる。半期に一度の即興ピアニストのつれづれ。

努力とやせがまん。

努力とやせがまんとはやっぱり違う。

 

努力は多かれ少なかれ報われる。報いが目にも明らかな場合も後で気づく場合もある。

一方、やせがまんは報われた試しがない。それどころか心身を疲弊させ潰しにかかる。

そんなふうに思う。

理不尽で窮屈な中でやせがまんを強いられていたり、みずから強いていると、肌感覚がなくなる。

肌感覚は心身を守るためのもの。

 

やせがまんからは潔く撤退。

撤退したことをしばらくもてあそんだのちはもう振り返らない。引きずらない。

淀んで硬くなった自分の内面がゆっくりとほぐれて浄化していく。

心配や不安を超える安堵感がある。

やがて本当の光が見えてくる。

 

やせがまんが限界を迎えたあの初夏のある日、逃げることを決めた。避難しよう、と。誰がなんと言おうと自分が壊されつつあるこんな危険なところからは避難しよう。自分を救い出してあげられるのは自分だけだ。

そう思って思い切った。

すでに迷いは失せていた。

思い切る瞬間というのは案外ワクワクしているのだった。いや、思い切ることを想像して手順を考えている頃からワクワクは始まっていたかもしれない。

あの日は青空が広がっていた。

平日の街をぼんやり散歩した。

通りかかったコンビニでサイダーを買って公園のベンチに座った。

しばらく味わったことのなかった無邪気な気持ちでサイダーを飲んだ。

素晴らしい解放感に包まれていた。

青い空を見上げながら、ああこれでやっと自分に戻っていけると感じた。

いままで辛い思いをさせて悪かったねと自分で自分に謝った。

そして随分と危ないところにいたんだなと実感した。

自分にとって本当に必要で価値のあるものがちゃんと見えてきた。

それは新しく見えたものではなく、今までも見えていたのにも関わらず幾度となく見えぬふりをしていたものだった。

見てはいけないものだと、取り立ててはいけないものだと他人の感覚やら常識的社会人の感覚(自分の勝手な思い込み)で判断してしまっていた。

そう、自分の中に既にあったんだ。

もうこれは一生をかけて大事にしていこうと思った。

 

やせがまんをしていた頃、自分にしては痩せていた。

今はぽっちゃりさん。

名実ともにやせがまんが板につかなくなっている。

喜ばしい限りである。