rumipianoのへっぽこるみ日記。

即興ピアニストrumipiano(岡本留美)のブログです。日々のつれづれ、脳内日記(創作日記)、演奏会情報などを載せています。YouTube公開中(『youtube rumipiano』で検索)。ホームページは「rumipiano ホームページ」で検索するとご覧いただけます。お問い合わせはrumipianosokkyo@gmail.comまで。

そしられる。

曇りのち晴れ 切り花を買おう 行為の対価にするよ 愛の名にそしられるよっ!(キリンジ『甘やかな身体』)

 

そしられる…ソシラレる…「ソシラレ」

 

確か広瀬香美が「みそしる」と聞くたびに「ミソ」という音が頭に流れる、みたいなことを本で書いていた。

絶対音感の世界である。

楽音(「音楽」をひっくり返したギョーカイ用語ではなく、楽器の音全般を表す)だけでなくノイズ(楽音以外の音)も「ドレミファ」として聴こえる。

自治体によっては夕方に子どもらに帰宅を促すチャイムを鳴らすところがあるが、あのチャイムの音程が微妙に違っていたり、サザエさんのエンディングテーマの初めの頃の音程と終わりの頃の音程が微妙に違っていたりがいちいち気になってしまう。

中には頭痛や吐き気、めまいなど深刻な症状に悩まされる人もあるらしい。

 

絶対音感は、初めに手にした音階を奏でられる楽器の音(調律)で決まるのではないかと思う。

わたしに関して言えば、聴こえた音と自分が思った音が半音ズレることがある。最初のピアノの調律が低めだったのだろうか。今のピアノはA=442ヘルツで調律してもらっている。

 

A=440ヘルツ(ピアノの鍵盤で言えば真ん中のドから白鍵で数えて6番目の音が1秒間に440回振動して出る音)に合わせて調律する場合とA=442ヘルツで調律する場合がある。コンサートホールは後者が多い。昔はC=528ヘルツだったらしい。今ではヒーリングで使われているようだ。遺伝子を修復するとか。YouTubeでも検索してみると結構出てくる。わたしもC=528ヘルツのチューニングフォーク(音叉)を持っている。四半世紀来の原因不明の左耳低音部難聴が治らないかなぁと買ったものだ。しばらくは寝る前などに聴いていたのだが今は埃をかぶって部屋の隅で眠っている。

 

楽器の調律の音は時代と共に高くなっている。速度も速くなっている。モーツァルトの『トルコ行進曲』(もともとはソナタのなかの一部。アレグロ・アラ・トゥルカ。トルコ風アイス、じゃなかった、トルコ風アレグロって感じ?)も今よりは低めの調律でもっとゆっくりと演奏されていたのではないかと思う。楽器や演奏家の技量が上がってきたことと、より強い刺激を求める聴衆とのせめぎ合いの結果なのだろうか。

モーツァルトの音楽も当時は「音が多すぎる」と不興を買っていたらしいがいつのまにか聴衆を虜にしていったという。

あの旋律をヘビメタギターでキュインキュインしながら早弾きしてもカッコイイだろなと思わせるところがモーツァルトだ。余談だが、カルディ(珈琲や輸入菓子などの販売店)でベートーヴェンの曲をサルサアレンジしたものが流れていた時はかなりの衝撃だった。

名曲と言われるものはそういうものなのかもしれない。だから何百年も残ってきたのだろう。

 

さて、絶対音感

絶対音感は楽器演奏に絶対必要かと言えば、なんとも言えない。

ピアノに関しては、調律師さんに調律してもらったピアノで楽譜を見て弾く限りはなくても何とかなると思う。楽譜が読めれば音は出せるからである。

弦楽器のように演奏者自身で音を調律しながら演奏するタイプの楽器であればあっても便利かもしれない。しかし、ピアノの「ド」が自分の楽器の「ド」と一致させられる場合に限られるかもしれない。音質の違いで分かりづらいこともあるようだ。

音楽の種類によっては絶対音感が邪魔になることもあるのではないかと思う。絶対音感はあくまでもクラシックやそこから派生した音楽の世界での話。

それぞれの民族音楽には独自の音階や音程がある。日本音楽(邦楽と言われるもの)も然り。言ってみればクラシックも西洋の限られた地域の民族音楽である。

「ピヒャー」とかコウモリも逃げ去る超音波を発する龍笛は音階は通常奏でない。奏でられない(能の笛方の一噌幸弘氏は龍笛でバッハの管弦楽組曲をやってしまう。初台のオペラシティで真ん前の席で聴いたときは圧巻を超えてもはや狂気の世界を彷彿させた)。

 

日本も戦前は絶対音感などというものはほんの一部の西洋音楽演奏家が持っていただけである。多くの人は自分が歌いたい或いは歌いやすい高さで自由に歌っていたのである。合唱の習慣もなく斉唱中心であったために特に不便はなかったのである。音痴、などと言われることなく楽しく堂々と歌っていたことだろう。いい時代だ。

明治期に西洋音楽をもとに学校音楽が形成されて行く。けれども本格的に日本国民に西洋音楽の音程を浸透させたのは戦後にNHKで始まった『みんなのうた』だと聞いたことがある。教化、と言ってもいいだろう。

そう、音がズレるくらいで「音痴なんだわ…」と思う必要はちゃんちゃらない。

チャイコフスキー絶対音感がなかったとか。

 

絶対音感より相対音感のほうか大切だという人もいる。

相対音感とは簡単に言うと二つの音を聴いてどちらの音が高いか低いかがわかる感覚である。もっと言えば、どの調性でも「ドレミ」で歌える感覚である。絶対音感の「ド」は「固定ド」、相対音感の「ド」は「移動ド」とか言ってた気がする。

確かに音の高低が判断できるほうが便利かもしれない。

 

タモリが「ドレミファソラシ」の音階を使ってで駅名当てクイズをしてたのをずっと前にテレビで観たことがある。

「ドレミファソラド」は高いド➡︎高井戸(京王井の頭線

「ドレミファソラドレ」はシも高いド➡︎下高井戸(京王本線)