シュールレアリスムの作品を集めたコレクション展を横浜美術館まで観にいく。
みなとみらい駅で降りる。
懐かしき未来のような駅だ。
降りると新しい風景が広がっている。
殺風景でオシャレすぎて少し眩暈を覚える。
多摩地区在住のテンションでは太刀打ちできない何かがある。
美術館へ向かう。
美術館の表にはどこにも「コレクション展」などと書いていない。石内都展の垂れ幕がはためいている。
会期を間違ったか…
以前に埼玉県立近代美術館に行って「あ、その展覧会は来週からですよ」と言われて北浦和からトボトボ帰ってきたことがあった。
美術館の前でスマホで確認する。
確かにやっている。
中に入ってみる。
受付のところにやっと書いてあった。
マン・レイ、イヴ・タンギー、ジョアン・ミロ、サルヴァドール・ダリ、パブロ・ピカソなどシュールな作品がたくさんあった。
ルネ・マグリットとポール・デルヴォーはやっぱり気持ちがいい。絵の中に入ってしまいたくなる。絵の前から離れられなくなる。
鶴岡政男や桂ゆきのシュールも小気味いい。
浜田知明を初めて知った。お、っと思ったエッチングが浜田知明のものであったことが二、三度あった。
シュールには癒しの効果があるように思う。
現実がふとやりきれなく感じる時、気づくとシュールなものを手に取っている。
そんなものを見たり読んだりしているうちに気が済んでいることがある。
『絶望図書館』という頭木弘樹のアンソロジーがちくま文庫から出ている。
「絶望している期間のお供に」みたいなコンセプトらしい。
その本の初めの話が、三田村信行の『お父さんがいっぱい』という話。お父さんがいっぱい、といってもお母さんが何度も再婚を繰り返したからではなく、ひとりのお父さん本体が増殖するのである。
父さんが家にいるのに父さんから電話が掛かってきたり父さんが外から帰ってきたりして、その父さんたちが「俺が本物だ」とか言って証拠を出し合う…というところまでとりあえず読んだ。
絶望にもやはりシュールが効くのだろうか。