rumipianoのへっぽこるみ日記。

即興ピアニストrumipiano(岡本留美)のブログです。日々のつれづれ、脳内日記(創作日記)、演奏会情報などを載せています。YouTube公開中(『youtube rumipiano』で検索)。ホームページは「rumipiano ホームページ」で検索するとご覧いただけます。お問い合わせはrumipianosokkyo@gmail.comまで。

脳内日記 その十。

その昔、ヒトは大変だったらしい。

「けが」というものをしたり「びょうき」というものになったりしてそれはそれは苦しんで死んだり、また「ふりょのじこ」というもので死んだりしていたらしい。しかもその死んだ体がそのまま残っていたという。

またその頃には「かぞく」と呼ばれる組織があったらしく、数人で一緒に暮らしていて、その形態を「かぞく」と呼んでいたのではないかということだが詳しいことはよくわかっていない。そしてその死んだヒトが属していた「かぞく」によって何某かの儀式(詳細不明)を執り行い、死んだ体を埋められたり燃やされたりしていたらしい。(なんせこの頃の記録は何かとてつもないことが起きたらしくほとんど残されていないのだ。)

それに引き換え、今のわたしたちヒトは寿命が近づくとだんだんと小さくなって傍目には見えないくらいになる。そして、しゅん、という音を立てて消えてしまう。なので死んだ後の体が残ることはない。それに寿命以外でヒトや動植物が死ぬことはない。

それに今は「かぞく」というものはなく、基本は個体で暮らしている。

 

そういえばヒトは昔は生まれるのも大変だったらしい。オスだかメスだかというものがいて、そのオスとメスが「なんだかんだ」して(「なんだかんだ」もよくわかっていない)メスの体から直接出てきていたらしい。

今わたしたち動植物はすべて卵からうまれる。

柔らかい弾力のある透明感のある白い卵が定期的に空からぱらぱらと降ってくる。(卵の数はその時々で違うが、誰が決めているというわけでない。)地面に当たってぽいんぽいんと跳ねながらあたりをコロコロ転がっているうちに孵化する。

集合住宅に衣食の揃っている部屋がたくさんある。孵化した後、空いている部屋にヨチヨチ歩いて行ってそこで暮らす。近くには充実した図書館、美術館、音楽館、体育館がある。図書館で本を読んだり本を書いたり動植物とお話ししたりする。美術館で美術を見たり創作したりする。音楽館で音楽を聴いたり楽器を弾いたり曲や歌を作ったり即興したり動植物たちとセッションする。体育館でひとりで体を動かしたり動植物とダンスをしたりする。

またこれらの施設は透明な物体(「とらぱれちゃん」)たちがが常時メインテナンスやアップデートをしているので、わたしたち動植物はそこで直感の赴くままに遊んだり、とらぱれちゃんたちの手伝いをしたりしている。お腹が空いた時や、朝寝や昼寝または夜寝をしたくなったら集合住宅にある部屋に帰る。ちなみに集合住宅のメインテナンスもとらぱれちゃんたちによって行われている。

とらぱれちゃんたちはしゅんと消えたあとの動植物たちだ。なのでお互い気心が知れている。

 

実はこの頃前よりちょっとちっちゃくなってきた感じがする。ま、そんなお年頃になってきたのかな。