rumipianoのへっぽこるみ日記。

即興ピアニストrumipiano(岡本留美)のブログです。日々のつれづれ、脳内日記(創作日記)、演奏会情報などを載せています。YouTube公開中(『youtube rumipiano』で検索)。ホームページは「rumipiano ホームページ」で検索するとご覧いただけます。お問い合わせはrumipianosokkyo@gmail.comまで。

1971年製イノシシ。

東京都の推計による2019年の年男・年女の人口は、110万9000人らしい。

年男は54万2000人、年女は56万6000人。

出生年別では、1971年生まれが最多の22万9000人、続いて1983年生まれが19万2000人、1947年生まれが18万3000人。

 

ちなみにわたしは1971年。

小学校も中学校も高校もとにかく人数が多いだけで先生から怒られたくらいだ。

担任の先生や部活の先生くらいにしか名前なんて覚えられていなかったし、そんなもんだと思っていた。授業中にあてられる時は「じゃあ◯◯番」というように出席番号で呼ばれた。刑務所の受刑者と同じ待遇だ。

大学受験も人数が多い上、浪人もトッピングされていたので塾や予備校に入るのにテストがあった。そしていろんな大人たちにに「君たちは人数が多いんだからよほど勉強しなければ大学なんて入れないぞ」と盛んに脅迫された。

やっとのことで入った大学(奇しくも日本における史上最悪の首相を輩出してしまったとの定評のある)は、少人数教育が売りだったにもかかわらず、入ってみたら英米文学科だけで208人いた。異例の数だったらしい。

そして就職時にはバブル崩壊元年と重なり、企業のセミナーに電話で申し込みをしても電話口で「女子の方は受け付けない」とか「おたくの大学は受け付けない」などと言われたり、セミナーに行っても交通費も出ず、パワハラ面接が横行したりなど相当な扱われぶりであった。

都の高校の教員採用試験を受けたが「補欠に引っかかればなんとかしてあげるから」とある筋の人に言われ補欠に引っかかったものの「異例の事態にぼくもびっくり」と言われて、都教委からも「異例の事態でこちらもびっくり」というお手紙が来た。バブル期の感覚で定員を設定していたのだろう。

そして不思議なことに、社会人になってから属したどの職場でも同い年に出会ったことがないのだ。社会人入試で入った短大にもいなかった。

あんなにたくさんいた1971年製イノシシは一体みんなどこに行っちゃったんだ??異次元か?宇宙か??

 

全国の1971年製イノシシの皆さん、いかがお過ごしでしょうか。