彩の国さいたま芸術劇場でのバッハコレギウムジャパン(Bach Collegium Japan)の公演を聴いてきた。
演目はバッハのマタイ受難曲。
イエスの受難話のマタイヴァージョンにバッハが曲をつけたものと言ったらいいだろうか(ちなみにバッハはヨハネヴァージョンにも曲付けしている)。
BCJのマタイは以前にも聴いたことがある。
バッハが音楽監督をしていたというトーマス教会のマタイも遥か昔に初台のオペラシティで聴いたことがある。トーマス教会のものはとてもシンプルな表現だった記憶がある。
この度のBCJのマタイはとてもドラマティックな演奏だった。「これが後々オペラに発展していった感じがわかるね」と同行した友人も言っていた。
確かにそうだった。
鍵盤楽器がパイプオルガンとポジティブ・オルガン(可動式のパイプオルガン)とチェンバロの三つもあった。
弦もいつもよりヴィヴラートを効かせていたように聴こえた。
歌も表現がダイナミックだった。
ああ、こんなマタイもあるんだな。
この調子では終曲なんてそれはそれはものすごく盛り上げちゃうのだろうか…と思っていたらほどよく抑制を効かせて込めた表現で印象的だった。
最初から終わりまでほぼ歌いっぱなしのエヴァンゲリストの櫻田亮さんも、時々ドキッとするような艶やかな声と表現を挟んできた。
元々は教会のため、信者さんのため、ご新規信者さん獲得のための手段として作られたのであろう音楽が、時空を超えて芸術作品となって今日まで残っているのはすごいことだなぁとつくづく感じた。バッバも草葉の陰でほくそ笑んでいるのではないだろうか。いや、それとも…鈴木ファミリーの鈴木雅明さん、鈴木秀実さん、鈴木優人さんたちがバッハと今でもコンタクトをとっているのかもしれない。
話は変わるが、高幡不動の護摩焚きが好きで時々見に行く。毎日決まった時刻に行われているようだ。
祭壇の左右に僧侶が数名、祭壇の前に大僧正風情の僧侶が鎮座する。火を焚いて声明を唱え、中太鼓や鈴などがそれを支えセッションさながらの音楽空間になる。
このグルーブ感が何ともたまらない。特に般若心経のエンディング「ぎゃーていぎゃーていはらそーぎゃーていぼじそわかー」のところの高揚感はトリップを伴うほどに思える。
昔の人たちもワクワクしながら聴いていたのだろうか。
マタイの終曲に劣らず、である。
マタイにしろ護摩焚きにしろ、あのスタイルを創案したひとってすごいな。信仰が創案させたのか個人のイマジネーションが創案したのかそれらの相乗効果で生み出されたのかそれともそのいずれでもないのか…謎である。