昔買った小説を読み返しているとこんな場面が出てきた。
主人公は画家。
創作に行き詰まり、長い苦悩の末に師匠のところへ相談に行く。
訪ねてきた弟子に師匠が静かに語りかける。
「焦ることはない。昔からいうじゃないか、『止まない雨はない』って」
止まない雨はない、か。
なるほど。
雨は止むものだった。
それがある時を境に止まなくなったのだ。
小雨が一月ほど降り続いた頃、気象庁が次のような趣旨の会見をした。
「残念ながら今後も雨の止む見通しが全くない。水害の恐れも非常に高いので最大の注意をしてほしい」
国民はパニックになった。
ホームセンターでは水害に備えて砂袋や小型のボート、救命ジャケットが飛ぶように売れた。
家電量販店では除湿機や乾燥機の類が軒並み品薄となった。
各地で雨乞い専門の祈祷師の家が襲撃される事件も起きた。
また国外へ避難する者が後を絶たず、国による渡航規制がかけられた。そのため国外避難の斡旋を持ちかける詐欺グループが横行し、奇しくもオレオレ詐欺の類は全くなりを潜めた。
国会前では長雨問題に無策の政府への大々的なデモが行われた。
都知事が長雨対策に打ち出した「てるてる坊主キャンペーン」が発端で、爆発的なてるてる坊主ブームが到来した。
銀座の貴金属店が1億円(税別)で売り出した限定1000個の18金のてるてる坊主が開店から30分で完売した。
てるてる坊主のゆるキャラ「てるぼ」が大人気となり傘やレインコートをはじめとするキャラクターグッズがバカ売れした。
全国では僧侶がてるてる坊主の格好をして鎮雨法要をするのが流行り、減少傾向にあった檀家数もかなり盛り返した。
ある神社では「雨除け守」を新たに出したところ毎日多くの人が押し寄せて、一時はお札を手に入れるのに一年待ちという事態にもなった。
また「雨除け」と音が似てる、とネットで広まり験担ぎに上野のアメ横に訪れる人が後を絶たず一大パワースポットとなった。
一方、長雨の影響で体調を崩す人も増えた。
中でも日照時間が激減したせいか鬱症状を訴えるひとが増え、どこのメンタルクリニックも大賑わいだった。
鼻くそを食べると免疫が上がる、とある脳科学者が言ったのを端緒に、お金のかからない手軽な健康法ということで「鼻くそ健康法」は各種メディアで盛んに取り上げられ、書店では「鼻くそ健康法」に関する雑誌や本のコーナーができた。
二番煎じで「耳あか健康法」も出てきたが、こちらはそれほど流行らなかった。かかりつけの耳鼻科の医者も「流石に耳あかでは免疫は上がらないでしょう」と眉を顰めていた。
鼻くそと比べると耳あかは食べづらそうだ。
あれから二十年近くが経った。
今も窓の外ではしとしと小雨がが降っている。
大雨になったりはしない。
ずっと小雨か霧雨だ。
空の上の方は恒常的に霧が立ち込め、高い建物はみな下半分しか見えない。
ある健康器具が電機メーカーと共同開発した人工太陽機能付照明器具「サンパワー」と除湿機は今やどの家でも必需品となった。
おかげで長雨の中でも大分暮らしやすくなった。
雨を止ませようという取り組みも様々に試行されたがどれも失敗に終わり、もっぱら「サンパワー」頼りだ。
長雨の影響で生産が絶望視されていた葉物野菜なども「サンパワー」による室内水耕栽培で生産可能となった。
身につける衣服もインド綿や麻素材が主流だ。
湿気が多くても比較的快適でしかも濡れても乾きやすい。
靴は薄い革製のものを履いている。
ビニール素材のスニーカーを履く人も多い。
人々も良くも悪くも以前のような覇気はなくなったが、全体的に穏やかで物静かになった。
「近隣諸国が攻めてくるから武器を買う」だの「軍隊を合法化しろ」だの「世界の真ん中で活躍しろ」「一生現役で働け」だのと勇ましいことを政治家か言っていた時代があったらしいがよほど天気が良かったのだろう。
今や日本上空は始終厚い雨雲が垂れ込めている。この雨雲が日本を守ってくれている。何やらこの雨雲、他国の敵対意識を削いでしまうらしい。
天照様の代わりに「雨神様」をお祀りする家も増えた。特にどこから強制されたわけではなくごく自然に始まった風習だ。小さな睡蓮を浮かべた鉢の中に雨神様が宿るとされている。
雨神様信仰は世界的な広がりを見せている。
そのおかげが近年日本の他にも雨雲に覆われる国が増えてきたらしい。
膨大な国防費から解放された国々はベーシックインカムを導入するなどして人々の穏やかな暮らしを実現している。
そのような先進国では今や学校も職場も週休5日制が定着している。
さて、今日も雨神様にご挨拶に行こう。