「…であります」
「…であります」
「…であります」
「…であります」
「…であります」
…
テレビの国会中継で「…であります」を連発している男がいた。
ついには「…ではないのであります」ときた。
こうなるとないのかあるのかわからなくなる。
例えばドラッグストアの店員にマスクはあるかと聞いて「マスクはないのであります」と言われてもマスクがあるんだかないんだか咄嗟にはわからない。
何を隠そうこの「であります男」はかつては「バカなボンボン大学」と近所で言われていたらしい吉祥寺駅から徒歩20分ほどのところにある大学のご出身。
奇しくも自分の母校なのであります…まことに面目ないのであります…
ところで、この「あります」を聞いていて思い出したのは「ありんす」という表現だ。
遊郭で働く遊女たちがお国言葉や出身を隠すために言葉の最後につけたのが始まりらしい、とどこかで聞いたことがある。
さらに思い浮かぶのが「ざます」。
これも山の手の奥様たちがお国訛りを隠すための苦肉の策だったのかもしれない。
まあ確かに言葉の最後にお国柄が出ることは多い。
「…だんべえ」
「…じゃけえ」
「…じゃけん」
「…じゃん」
などなど。
それを「あります」「ありんす」「ざます」に置き換えて使っていたのだろう。
「あります」に関しては軍隊の中でも使われていたことはよく知られている。
自分の言葉で自然に話せる環境は大切だなぁと思う。
語尾を隠すことなく、忖度することもなく。