rumipianoのへっぽこるみ日記。

即興ピアニストrumipiano(岡本留美)のブログです。日々のつれづれ、脳内日記(創作日記)、演奏会情報などを載せています。YouTube公開中(『youtube rumipiano』で検索)。ホームページは「rumipiano ホームページ」で検索するとご覧いただけます。お問い合わせはrumipianosokkyo@gmail.comまで。

最期の音は…

NHKスペシャルで『坂本龍一 ラストデイズ』を見た。

余命宣告を受けてから命を閉じるまでの坂本さんの様子を記録したドキュメントだった。

 

音楽を聴く体力がない、と言って手元にある音の出る小さなものたちに耳を傾けていた。

 

亡くなる数時間前には、ベッドの上で仰向けになったまま虚空のピアノを弾いていた。

それが最期の場面になっていた。

 

そうか、命が尽きる寸前までピアノを弾いていたんだ、坂本龍一は。

よかったなぁ、と思った。

 

どんな曲を弾いていたのだろうか。

どんな音が鳴っていたのだろうか。

どんな音が聴こえていたのだろうか。

 

自分があちらの世界に行った時、万が一お会いできたらぜひ伺ってみたい。

お会いできるようにこれからも精進していかないと…

 

「…音楽だけじゃなくて、文学や哲学や思想もそうですけど、すでに死んだ人たちから滋養を得て、死んだ人たちの残したものと対話しながら育ってきて、いまだにそれを続けているわけですよね。ぼくらが死んだ後にこんどは未来の人間たちがはたしてぼくらの残したものと対話してくれるだろうかとよく考えます」

と、生前にどこかで語っていた坂本さん。

 

今いるこの部屋にある楽譜はほとんどすでに死んでしまった人たちが遺してくれたものだ。それらと日々対話をしている。音源にしてもそうだ。ピアノという楽器だってそう。

 

時の流れと人の流れ。

この世とあの世。

いろんな次元を思い描きながら暮らしていきたい。

 

 

初めてのエレピ即興。

3月24日の対バンライブ。

日野のSoul Kにて。

 

初めて電子ピアノで人前で即興をする、という試み。

電子ピアノのエレピの音色はとても好きなのだが、タッチがどうなるか心配で心配でドキドキだった。

アコースティックのピアノは打鍵をしたときに指に感触がある。しかも踏み込める、というか、弾き込める。

電子ピアノだとその感触が薄かったりなかったりする。

感触のないまま弾くのはものすごく心許ない。

ライブが近づくにつれて「これは実験だから失敗しても仕方ない」と無理やり自分に思い込ませる日々。

本番前にこんなに緊張と不安が昂じたのはいつ以来だろう…もしかしたら初めてかもしれない。

自我が強く出過ぎているせいもあるのかな、と思い自己点検をしてみたり…

 

さて、当日。

Soul Kのプレイヤーであり音響さんでもあるDustyさんのおかげもあって、エレピの音色は弾いていてとても気持ちよかった。

「このエレピがこんなにきれいな音を出すのを初めて聴きました」と演奏後におっしゃっていたのを聞いてホッとした。

オーディエンスの方々にも楽しんでいただけたようでよかったよかった。

 

エレピの音色で弾くと、普段アコースティックのピアノを弾く時とはまた違った音作りになるんだなぁと実感した。

けれどやはりタッチの違いで普段の呼吸や身体(主に腕や指)の力の逃し方などいつも通りにはいかないところがあったせいか、それからしばらくアコースティックのピアノを弾く時もどこか身体がバランスを欠いたような違った感じになっていた。

このままバランスが戻らなかったらどうしよう…と思ったが何とか整ってきた。

 

それにしても…エレピの音があんなに気持ちいいとは…また弾いてしまうかもしれないなぁ…

ライブ出演。

久々にライブハウスで弾くことになりました。

対バンでの出演です。

初っ端に弾きます。

今回は実験的にエレピでの即興です。

ドキドキ。

もしよろしければお出かけください。

 

日時: 2024年3月24日(日)

17:30 開場 18:00 開演

会場: Soul K(JR日野駅より徒歩2分)

*日野市大坂上1-30-26 ラポートビル 4階

*℡ 042 584 4144

出演: 岡本留美(rumipiano)/黙阿弥/マグマトロン

チャージ: 2000円+オーダー

 

不思議な感覚。

『カイエ・ドゥ・ルモワンヌ』というこども向けのピアノの小品集が全音楽譜出版社から出ている。

「カイエ」とは、フランス語で「出版社」を意味するらしい。

それほど厚くはないが2巻ほどある。

ルモワンヌ社から出ているフランスの作曲家によるピアノ用の小品から井上淳子さんがいろいろと集めて2巻にまとめてある。

なんとも洒脱な香りのする音がたくさん散りばめられていてうっとりする。

バイエルやツェルニーには出てこない音色だ。

これがフランスの音なんだなぁ…と思う。

中でも、シャルル・アンリの作品が気になったので、ルモワンヌ社から出ているものを取り寄せてみた。

日本で出版されている楽譜とは紙質も音符の印刷の具合も違っている。

その楽譜で弾いてみると、同じ曲でも日本で出版された楽譜を見て弾いている時とは何かが違うのだ。

言葉ではうまく表せないが、重力が違う感じがした。そのせいか自然に気持ちよく音を出せたのが本当に不思議だった。

他の国の人が日本で出版された楽譜を見て弾くとどんな感じがするのだろうか。

楽譜に限らず、その国の印刷物の持つ雰囲気ってあるような気がする。

セキセイインコにおける言語生成。

わが家のセキセイインコ、ピコちゃん。

ピコリーノが正式名だったがそのうちにピコ太郎になった。その直後に芸人のピコ太郎が出てきたのは驚きだった。そして結局は「ピコちゃん」に落ち着いた。

 

さて、そのピコちゃん。

オスのせいか囀りに余念がない。

同居のコザクラインコのメスのポポちゃん(正式名 ポポリーノ)のことが一番好き。ちなみにわたしはどうやら3番目くらいらしい。2番目は誰かというと、鏡に映った自分だ。ピコちゃんは鏡の中の自分を他の鳥さんだと思っているからだ。

ポポちゃんと鏡のなかの自分とわたしが同時にいる時はこの三者の間を健気に行ったり来たりして忙しい。八方美人ならぬ三方美人だ。

ポポちゃんの気を引くためにセキセイインコながらにコザクラインコの鳴き方を一生懸命練習し習得している。そして私の気を引くために(かどうかわからないが)、「ピコちゃん」「かわいいねぇ」「おい、ピコ太郎」「ピコ鳥」「ごはんだよ」「わーピコちゃん」「だめよー」「こんにちは」「おはよ」等わたしの声かけも鋭意習得している。

ピコちゃんに巻き舌をしてみたら食いついてきたのでそれ以来巻き舌をしてあげていたらこれもかなり高いレベルで習得している。

 

九官鳥は聴いたものをそのまま真似をするそうだが、セキセイインコは自分の中に一度落とし込んで真似したり自分が好きなようにアレンジをする。

例えば、「ピコねぇ」「かわいいちゃん」「ピコだよ」「ごはんどり」…これらはいずれもピコちゃんからわたしが習った言葉、つまり、ピコちゃんオリジナルである。

どうやらピコちゃんは「ピコちゃん」を覚える時に「ピコ/ちゃん」、「かわいいねぇ」を覚える時に「かわいい/ねぇ」と分解して理解し「ちゃん」「ねぇ」を語尾につければいいのだろうと学習したように思われる。その結果が「ピコねぇ」「かわいいちゃん」になったと推測できないこともない。

「ピコ鳥」「ごはんだよ」を覚える時も「ピコ/鳥」「ごはん/だよ」と分解したと思われる。その結果「ピコだよ」「ごはん鳥」となったのかもしれない。

また「ピコちゃんこんにちは」と少し長いものだと面倒くさくなってしまうのだろうか「ぴこんにちは」とアレンジしたりする。

 

セキセイインコの言語生成、なかなか興味深い。

 

 

テレパシー?

この間(12月2日)の虎ノ門B-tech Japanでの『Rumi&Yukkoのやりたい放題vol.10』、無事終わりました。ご来場いただいた方々、気に留めてくださっていた方々、本当にありがとうございました。

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前日に寒波が来てどうなるかと思ったが、当日は穏やかに晴れていい感じだった。

左手に曲がらない親指を抱えての本番だった。

整形外科を二軒まわったり整体の先生にお世話になったり焦ったり諦めたりいろいろな想いをしながらたどり着いた当日だった。

頭が先行してあれこれと妄念がやってきて大変なことになってしまっている時間が長かったのだが、もうこれは頭や精神力の領域ではなさそうだと覚悟した。

「もう、手に任せよう!」

そう思った。

 

前半はYukkoさんがシューマンの『子どもの情景』を弾いていた。シューマンいいなぁ…。会場がYukkoさんの柔らかな雰囲気に包まれていった。

いつもは即興以外にもアレンジものを演奏していた。今回もその予定で何曲か弾くつもりだったのだが、当日の会場で「オール即興プログラムにしよう!」と直観した。

白いキャンバスにいきなり描き始める公開制作のような感じのステージになればいいと思った。

かつて横尾忠則さんの公開制作を府中市美術館で観たことがあったあの感じを思い出した。

タイトルのない即興とタイトルのある即興とリクエスト即興(お客様からの「お題」に基づいた即興)。

特にリクエスト即興は観客の皆さんと一緒に即興しているような感じになってお互いに面白かったようだ。

「綺麗なお題じゃなくちゃいけないのかしら?」と後になってぽつりと言っている方がいらっしゃった。

実はわたしも心の中で「なんでみんな綺麗なものばっかり言うんだろう??」と思っていた。

そんな雰囲気があったみたいだ、どうやら。

「『血染めの桜』とか思いついたんだけどなぁ…」なんていう方も!

 

演奏会後にメールで感想を寄せて下さった方がいらして、このようなことをおっしゃっていた。

「『AIとフィジカル』というお題が浮かんでいたのですが…」

その方はなんとなく直観でその場でリクエストするのをおやめになったそうです。そのあとでわたしが「YouTubeでこのところ何回か自分がアップした動画をAIがオススメしてくるのですが…」とAIとヒトの関係のような話をちらっとして、予め用意していたタイトル『Human Ah Human Beings』を弾いたのだが、「シンクロでした!」とびっくりなさっていた。

テレパシーが通じたのだろうか…

多かれ少なかれ毎回このようなことが起きる。

人前で生演奏をする時の醍醐味である。

 

また来年も『Rumi&Yukkoのやりたい放題』、どうぞよろしくご贔屓に。

ウラ話。

コリラックマとデュエット。https://youtu.be/lR3zJ2SWhLs?si=D_e5D5Zd7EODgs0p

 

実は左手の親指の不調がひと月以上続いている。

特に起床時は「誰だきみは?」というくらいこれまでとは違う感覚だ。

親指の第一関節とその下の関節あたりが痛んだり、外れるんじゃないかと思うような感じがしたり、こわこわしたり腫れぼったい感じもあったり…

レントゲンでは異状が見つからなかった。

血液検査でリュウマチ疾患などのチェックをしたがそれも今のところひっかからなかった。

エコー検査で腱が炎症してるらしいことはわかった。

消炎剤入りのクリームを念を込めて塗ったり、手を休めようとお昼寝の時間を大幅に増やしたり、夜中に何かに促されて半分覚醒状態で手をほぐすマッサージを延々としたり、労いの言葉をかけたりしているが構いすぎるとかえって症状が悪化するのでこのところはぼちぼちの距離を保とうと思い始めたところだ。

更年期症状、手の使い過ぎ…など色々考えられるようだが、自分として思い当たる節がある。

調理だ。

右手で包丁を持って左手でおさえて切る、その時の左手が「この形、ほんときっついんだよねぇ」と毎回のように言っていたのだ。

ピアノに特化したような指になっているせいか、指を開きながら使われるのがわたしの手たちは大好きなのだ。

それが家事…特に包丁で何かを切るときの左手は指を閉じた状態で丸めて、しかも親指と人差し指の間も閉じなければいけない。この形をキープしたまましかもしっかりと抑えなければいけない。

そう、この形がわたしの手たちは本当に嫌いなのだ。間違いない、これが大きな原因だ。

…という話を長々とするつもりではなかったのだが、手を休めようと部屋のベッドで寝っ転がりながら、横にあるピアノを眺めては「しばらく弾けないなぁ…来月演奏するのになぁ…」と思っているときにピアノの椅子に座っていたコリラックマが目に入り、「コリラックマに弾いてもらって自分は右手だけでちょっと参加してみようか」と思ったのがこの動画ができたきっかけであった。

この動画、事情を知るひとには「泣ける」と言われ、知らないひとには「ウケる」と言われ…