四十年以上前からある台所のレンジフード(専ら「換気扇」と呼んでいる)と二十五年来の付き合いのグリル付きガス台を今日取り替えた。
換気扇はつけると「ぐぉぉぉぉー」とこの世の終わりのような音がするようになってからは滅多に使わなかった。換気扇についているランプは一旦付けたら最後消えなくなってしまうようになってからは滅多に使わなかった。
ガス台は琺瑯の台に3つガスが付いているものだった。琺瑯の上に繋がった五徳(と言えばいいのだろうか)がのっている。琺瑯の青ざめた白と五徳のマットな黒とのコントラストが鮮やかだった。
ガス台に付属したグリルはいつの日からか開かずの間となった。引っ張ろうが何をしようが頑なに閉ざしたままになってしまった。仕方がないのでグリルのしたいようにさせていた。
それが、ガス台を交換することが決まってから少し経ったある日、家の者が何気なく開けたら実に素直に開いたのであった。
こんな不思議なことがあるもんだ。
さすがのグリルも何かを察したのだろう。
静かな感動を覚えた。
それ以来、妙に愛おしくなってしまった。
ああ、このガス台ともお別れか…
グリルともさよならか…
次のガス台はガラスが付いているとか言ってたな。
そうか、琺瑯じゃないんだね。
磨き心地も違うんだろな。
そして今日、新しいレンジフードとガス台がやってきた。
レンジフードは普通の音がしてランプをつけてもちゃんと消える。
これはいい。
ガス台は先代よりは華奢な五徳が別々になっているものがキラキラしたガラスの上にのっている。
一見綺麗なのだが、何となく手触りが薄っぺらい。
そう、この感じはレンジフードにもあった。
何だろう、この薄っぺらい感じは…
昭和のマンションの一部屋だけを防音仕様にリフォームした時にも新建材に同種の薄っぺらさを感じたことを思い出した。
マンションの大規模改修でガラス窓の交換をした時にも感じた。
この頼りない感触…これはひょっとして今の時代の手触りなのかもしれない。
この先もっともっと薄っぺらく頼りなくなっていくのだろうか。