rumipianoのへっぽこるみ日記。

即興ピアニストrumipiano(岡本留美)のブログです。日々のつれづれ、脳内日記(創作日記)、演奏会情報などを載せています。YouTube公開中(『youtube rumipiano』で検索)。ホームページは「rumipiano ホームページ」で検索するとご覧いただけます。お問い合わせはrumipianosokkyo@gmail.comまで。

プォッ、プフ。

いつになく食べ過ぎてしまった。

そのせいか眠りにつく前、俄かに胃がもわもわとし大層落ち着かなくなった。

 

今日一日に食べたものたちとそれらが胃に入っていく様を思い描いてみた。

なるほど、こうなるのも無理はない。

心底胃に申し訳ない心持ちになった。

 

手のひらで胃をぽんぽんしながら話しかけてみた。

「今日はたくさん頑張ってくれたね!無理させちゃってごめんね。でもありがとね」

「グググ…キュルキュル」

「ゆっくりでいいからね、消化」

「グプキュルキュ」

「これからは食べ過ぎないように気をつけるね」

「グルキュ」

 

翌朝、目覚めたら昨日のことが嘘のように胃がスッキリしていた。

「うわぁ!すごいね!!私が寝ている間にこんなふうにしてくれていたなんて!!!」

「クゥ〜…クォッポッポ」

「朝ごはん、一緒に食べようね!」

「クックォー!」

 

こうしてだんだんと胃と仲良しになった。

 

腸には時々労りの言葉掛けをしていたが胃には話しかけていなかったのは申し訳なかったなと思う…と書いていたら、早速胃が話しかけてきた。「プォッ、プフ」。

 

 

 

 

 

 

気がつけば…

気がつけば今年ももう3ヶ月が経っていた。

 

すごいスピードでやってきている世界の混沌に圧倒され続けてぼんやりしてしまう。

 

元々人の世は混沌。

宇宙の始まりも混沌。

 

目を閉じれば世界は消える。

目を開ければ世界が現れる。

 

ちょうどいい世界でちょうどよく暮らしていたいだけなんだけどな。

 

ちょうどいい、は退屈さや適度な行儀よさの積み重ねなのかもしれない。

 

ちょうどいい、にはそれなりの地味な継続的努力が必要。

 

「もっともっと」より、今は

「ちょうどいい」

くらいがちょうどいい。

 

 

おにいさんと聖域。

駅へと続く近所の繁華街通り。

風俗店や飲食店やスポーツ用品店などがひしめき合っていた。

朝、出勤するのに駅へ向かう時に通ると夜の残り香を漂わせた人々とすれ違ったりしていた。

そんな通りがここ数年でどんどん更地になりあちらこちらに新築マンションが立ち続けている。

建設会社が建てたフェンスの隙間に広大な更地がのぞいているところもある。

またショッピングモール付きの集合住宅でも出現するのかな。

新しい風が街に馴染んだ昔ながらのいろんなものを根こそぎビュンビュン吹き飛ばしている辺りを、頭の先や靴の先(またはその両方)をとんがらせたスーツ姿が薄い皮の鞄を片手にウロウロしている。

見慣れた街がどんどん変わっていく。

新しくきれいになって楽しみだね、と言えるほどノリがいい性質だったらワクワクしちゃうのにな。

 

これまた近所に昔ながらの木造の平屋建てがある。

かつては自転車屋さんだった。

小学生から中学生の頃は家族もわたしも自転車を買うのはだいたいこのお店だった。

先代が丁寧な手書きで住所や名前を自転車に書いてくれるのだった。おにいさんは先代と一緒に働いていた。おにいさんは先代の倅で、ちょっと話の通りにくい不思議な印象があった。

先代が亡くなってからしばらくはおにいさんが店をやっていた。「これ、本当は〇〇〇〇◯円なんだけど安くしとくわ」というのがおにいさんの口癖だった。

やがておにいさんは自転車屋を畳んだ。

それからは店舗の部分もおにいさんの居住空間となっていった。屋根のような防水素材の庇からは煙突が顔を出している。ストーブがあるようだ。

おにいさんはいつも同じような出たちだ。黒い長靴は定番だ。

家の外壁に「駐車禁止」などといろいろ手書きをしてある。

同時多発テロ」のような物騒な言葉が飛び交っていたころには、「多発ゲロ地帯」「ゲロ禁止」とおにいさんの手書きで書かれていた。

そういうことがあったのだろう。

迷惑なひとがいたものだ。

 

おにいさんは家のメンテナンスにも余念がない。

屋根に伝う植物を切ったり、外壁(というか囲い。隙間からちょっと聖域の中がのぞけている)を補修したりなど、など。

おにいさんの聖域の周りも段々とマンションが建ち始め、聖域の隣もマンションになった。

きっと今日まで地上げや立ち退きや建て直しといった類の話をいろんな業者に持ちかけられ続けてきただろう。時には乱暴な騒音もあっただろう。

そんな中でも直向きに、ブレることなく大切な聖域を守り続けている。

聖域の半径数メートルの建物は昔のままの風情が残っている。

これもまたおにいさんの霊験かもしれない(或いはさりげなくおにいさんを護ってあげているのかもしれない)。

 

時の流れの中で段々といじけた気持ちになることも増えてきたが、おにいさんの聖域を目にするたびに「よし!」と心の中で小さくガッツポーズをしている。

この先も時代の風圧は上がっていくだろう。

占いでは「地の時代」から「風の時代」へ移行した、と言われているらしい。

地に踏ん張って風圧に耐えてみたり、風に乗って飛んでみたり、飛んでは振り落とされてみたりしながら暮らしていくのだろう。

 

ペットロスな当日。

先週の土曜日(10/18)はRumi&Yukkoのやりたい放題vol.14でした。

いらして下さった皆様、ありがとうございます。

 

本番の四日前、15年一緒に暮らしたコザクラインコのポポちゃんが突然あちらの世界に行ってしまって、そのショックでまともにピアノが弾けないでいました。

 

悲しみで呆然としたまま当日が来ました。

 

もう呆然の中で弾くしかないなぁ…と思いながら会場の虎ノ門まで電車の中で呆然としていました。

季節外れの太陽が降り注いでいたけれど、周りを流れる景色は褪色しているように見えました。

 

会場に着いて、共演者のYukkoさんとPeruruさんにお会いして、お話をするも、自分が話しているような実感がないままのぼんやり具合でした。

 

お客様も入り始めていよいよ開演時間となりました。

 

Peruruさんがブラームスを弾いて、その後にYukkoさんがバッハを弾きました。

Yukkoさんが演奏前のトークで「人前でバッハを弾くなんてわたしにとっては正気の沙汰ではない」と言っていました。

正気の沙汰ではない…という言葉を聞いて、わたしの中の何かが弾けました。

今のわたしは正気ではない。

もう正気ではない様をそのまま見せてしまおう、と。

 

休憩が終わり、自分のステージとなりました。

気づくと無心に弾いていました。

まるで自分の部屋でひとりでピアノを弾いている時のような感覚でした。

何も気にせず、何も意図せず…

人前でこんなふうに素直に弾いたことは今まであったかどうか…

 

不思議な体験でした。

 

最後に弾いた『虹の彼方に』。

この曲を弾こうと思ったのは前日でした。

虹の橋の向こうに行ったポポちゃんのことを考えていたらこの曲が浮かんで来ました。

ずっと昔にどこかで弾いたことがあったかもしれません。

YouTubeでは弾いたことがなかった曲でした。

メロディを確認して、調性を決めて…それ以上のことはしませんでした。

 

触れているピアノの響きを聴きながら、静かに、静かに弾いていました。

お客様たちにもそのまま響いていってくれたようです。

 

さっき、YouTubeでも弾いてみました。

演奏会当日の演奏そのままとはいきませんが、なんとなく覚えているイメージを少し入れながら弾いてみました。

ポポちゃんも聴いてくれるといいなぁ…

 

https://youtu.be/bWxtH6ghijc?si=TiedUQJzIaU48RVS

くしゃみをしても…

咳をしても一人

…と詠んだのは尾崎放哉。

 

くしゃみが出やすい。

くしゃみをすると、一緒に住んでいるコザクラインコのポポちゃんが「ピッ」と必ず言ってくれる。

気配を察知してくしゃみをする寸前に言うこともある。

 

集合住宅に住んでいる。

外出先から帰ってきて、エレベーターに乗って部屋のある階で降り共用廊下を歩いていると「ピッ」と聞こえてくる。

すごい能力。

 

りんごが大好きなので、ほぼ毎日おやつにあげる。

「おいしい?」と聞くと「ピッ」。

これを繰り返していたら、だんだんとポポちゃんのほうから「プゥピィ!」(おいしい!)と言ってくれる。あんまり美味しくないりんごのときは何も言わずしゃりしゃり音を立てながら黙々と食べる。

 

音に敏感である。

お皿が触れ合う音を立てるたびに「ピピピッ」と怒られる。

食器棚からごめんごめんとポポちゃんに謝りながらお皿を出す。

料理用のタイマーの音や電子レンジの音はほぼリアルに再現できる。

 

自分の周りに誰も人が見当たらない時は「ピピッ(どこにいますか?)」と声を掛けてくる。

出かけて帰ってきて玄関のドアを開けると「ピッ!(おかえり!)」と言ってくれる。

 

晴れた朝にはカーテンを開ける前から起きて起きてと飼い主にアピールをする。

ケージの入り口を開けると飛び出してきていつもの定位置に飛んでいく。

定位置は梁と食器棚との間の縦15センチくらいのわずかな隙間。横には1メートル以上ある。

そこがポポちゃんのテリトリー。

ずっと前から狙っていた場所。

セキセイインコのピコちゃんがいた頃はふたりとも基本的には自分のケージにいることが多かったけれど、ケージの外にいる時はポポちゃんはよくその場所に行っていた。

 

テリトリーで行ったり来たりトテトテトテトテ楽しそうに走ったり、お昼寝したりする。ごはんもそこで食べる。夜眠る時以外はほぼテリトリーにいる。

キッチンペーパーの芯が大好き(?)で、見せると飛びついたり穴に頭を突っ込んだり、芯を動かすとものすごいスピードで着いてくる。

身体能力おそるべし!!

 

大腿部骨折をしたことがあった。

もうヒトで言えば80歳を超えていたので獣医さんも「手術はちょっと…」ということで様子見になった。

しばらくケージの下の方で療養していたが、ある時いつもの定位置に飛んでいった。

獣医さんは「あまり飛んだりさせない方が…」と言っていたが、もうポポちゃんの好きにさせてあげると、メキメキ元気になってきて、トテトテトテトテができるようになった。

 

トイレの場所も自分で決めて、食べ物決して変なものを口にしないし、家の外にも出て行かない。賢くて自立したところもある。

小さな頃に一度、何かの拍子に家の外に出てしまった。気づかずにいたら、どこからかポポちゃんの呼び鳴きがするなぁと思ったらベランダの洗濯物の洋服のポケットの中だった。

困って助けを呼んでいたのだろう。

 

東日本大震災の時にもコロナ禍にもずっとこの家にいてくれたポポちゃん。

3日前、突然虹の橋を渡ってしまった。

ひとりケージの中で。

 

今朝、くしゃみをした。

「ピッ」が聞こえなかった。

ああ、もういないんだ。

 

テリトリーの食器棚の上もがらんとしている。

トテトテトテトテも聞こえてこない。

ああ、本当にもういないんだ。

 

なんか家の中もしんとしちゃってるよ。

15年も一緒に暮らしてくれて本当にありがとう。

長々とヒトの暮らしに付き合わせちゃってごめんね。

ポポには本当にお世話になったよね。

でも本当はまだポポがいないことがよくわかんないんだ。

ポポ、とか、ポポちゃん、とか、ポンポコリンちゃん、とか、おポポちゃん、とか、ポッちゃん、とか、おポッちゃま、とかいつもみたいにいろんな名前で呼びかけちゃうんだ。

時々ポポの声も聴こえちゃうんだ。

 

でもいいよね。

まだいるんだから。

ね。

どこにいるのかな。

 

 

レモン。

ここのところレモンに惹かれている。

市販のレモンマーマレードをふとスーパーの店頭で手に取って以来だろうか。

レモンマーマレードの次はレモンスライスの冷凍のものもレモン風味のクッキーとともに買い求めた。

「(レモンを買って来て)切って冷凍しておけば?」と家人に言われ、なるほどそうだと早速レモンを買ってスライスして冷凍庫に入れてニンマリした。

 

外出先でペットボトルの水を買う度にペットボトルを捨てるのに気後れするようになってからは細身の水筒を持ち歩くようにしている。

水筒は軽くてなるべく手入れのし易いものを吟味して選んだ。

それまではあまり水筒には心が動かなかったのだが、いざ持ち始めてみるとほんわりとした安心感があってなかなかいいのだ。道端で、電車の中で、徐に鞄から水筒を取り出し蓋を開けて飲むとなんとも自由にちょっと素っ頓狂が混じったような寛いだ気分になる。

つい水筒を忘れて出かけた日にはソワソワしてどこかしらしゅんとしてしまう。

水筒の中身は専らミネラルウォーター。

香り付けに茶葉を入れたりしていたが、茶葉を一緒に飲んでしまわないように前歯を防波堤にしながら飲むのがやや億劫な時もあるので、レモンスライスを入れたりもしている。

 

弟がお世話になっている施設である利用者さんと仲良くなった。

長い年月を経て思い切って施設を訪れた際に、その利用者さん(以降Kさんと呼ぶことにする)のお姉さんとお昼の時にお話して、初対面で打ち解けてしまい、その流れで妹さんとも交流が始まった。

 

先日施設に行った時のこと。

弟とKさんとお姉さんとわたしが横並びでなんとなく座っていた。

Kさんがわたしを見ると「るみちゃんポテトチップスレモン」「るみちゃんポテトチップスレモン」と言い出した。

その時は思い当たる節がなかったので、なんだろねぇとKさんのお姉さんといいながらそのままになった。

 

後になって、このところ自分がレモンに惹かれていたことを思い出した。

もしかしたら、レモンのオーラだか念だか匂いだか何かがわたしから滲み出ていたのかもしれない。

それを察知するセンサーがあるなんてすごいなKさん。

いや、本来はそういう力は誰にでもあるのに不精をして使っていないうちに使えなくなっているのかもしれない。

 

前にもこんなことがあった。

「妹が『るみちゃんえいご』『るみちゃんえいご』って急に言い出してビックリしたの!!」とKさんのお姉さんが言ってきた。

「るみさんが英語の先生をしていたことはわたしから妹には言ってないんだけど…」

もしかしたら、英語のオーラだか念だか匂いだか何かが滲み出ていたのかもしれない。

Kさんの前ではいつになくふわっと心や頭が開いてはしゃいだ気分になるのが不思議だなぁとは思っていた。

何かが共振するのかもしれない。

 

その後も「レモンコーヒー」というワンダフルな飲み物があること、『檸檬』の作者の梶井基次郎がスコアを読むほど音楽に深かったと知ったこと…などレモン関係のことと遭遇することが増えている。

 

 

 

あなたに会いたかった。

最初にあなたと出会っていたら、わたしの人生はもう少し変わっていたかもしれません。

あなたの差し出すものは何もかも美しく響くのです。

どれひとつとっても…

その心地よさといったらもう何ものも敵わないのです。

人生も半ばを過ぎた、頭も耳も顔もぼんやりしかけたこんな頃に出会うなんて…

いや、実は随分前からあなたのことは知っていたのです。少しだけ近づこうとしたこともありました。けれども…あなたはまるで険しく高い山のようでした。そのころのわたしには勇気と根気がなかったのでしょう。近づき難くて後退りしてしまいました。

 

つい先日、知り合いから偶然送られてきた動画であるジャズピアニストがエレピで何かをを弾いているのを耳にしました。

なんて美しい浮遊感なのだろう…しかもこの世のものとは思えない気品と優雅さと粋に満ちた響き…

これはそう、あなた、ラヴェルさんの『水の戯れ』でした。

すっかり忘れかけていたあなたとの再会でした。

 

この日からまたわたしの中にあなたが住み続けるようになりました。

あなたのことを知りたくて、あなたの作品の音源を取り寄せ、本を探して、譜読みして…という日々が始まりました。

あなたの楽譜は相変わらず高くて険しい山のようです。

けれどもそこにある音符の音を出す度に妥協のない品のある美しい響きが立ち上がるのです。

そしてその度にうっとりとしてしまうのです。

ああ、生きているうちにこんな響きを体験できてよかった…と心から思うのです。

 

あなたの音たちにもっともっと早く出会っていたらわたしの音も変わっていたかもしれません。

いや、でも…もしかしたら…やっとあなたの音を味わえる時期がやってきたのかも知れません。

 

けれどもやっぱり早く会いたかった…

バイエルさんやツェルニーさんと見合いをさせられた時期にあなたに会っていたら…

その時分に同じく見合いで出会ったブルグミュラーさんは美しいなとは思いました。でも…でも…何かが足りなかったのです。

そう、もっともっと違う響きがあることはわかっていたのです。そしてそういう響きに焦がれていたのです。

小さな頃や中くらいの頃には、手元にあった楽譜や学校の音楽の教科書などをくまなく探してみたりはしました。けれど見つからなくて…どこにあるのかも何という名前のものなのかも分からずにただ悶々としていたのです。

長じていくうちにいろいろな音楽と知り合って、その中でいろいろな響きとの邂逅がありました。

 

そして…ラヴェルさん。

あなたの音楽の中には、何というか、ほとんどの音楽的要素が結集しているように思える今日この頃なのです。

遅まきながらあなたにこうしてお目にかかれて本当に嬉しく思います。

険しく高く美しい山を少しずつため息をつきながら登っていこうと思います。

ありがとうございます、ラヴェルさん。

これからもよろしくお願いいたします。