rumipianoのへっぽこるみ日記。

即興ピアニストrumipiano(岡本留美)のブログです。日々のつれづれ、脳内日記(創作日記)、演奏会情報などを載せています。YouTube公開中(『youtube rumipiano』で検索)。ホームページは「rumipiano ホームページ」で検索するとご覧いただけます。お問い合わせはrumipianosokkyo@gmail.comまで。

入口。

夕方、4時辺り。

5時、でもなく4時辺り。

窓の外の空気が部屋に入ってくると、さみしいような、それでいて安らいだ心地になることがある。

そんな時。

この世にいる、という重力から解放される。

ほんの束の間。

ふわっとしたhappinessに包まれる。

孤独、とか、ひとり、とかそういうものもそこにはない。

自我、とかそんなものも、ない。

過去、とか、現在、とか、未来、といった線的な時間感覚もない。

不安もない。

 

天国への入口かな。

魂の国への入口なのかな。

昔いたことのあるところへの入口なのかな

それとももっと思いもよらないところへの入口なのかな。

それとも…それとも…

ともともともとも…

 

そんな4時辺り。

 

いつも4時なると…というわけではなくて。

何かの折に。

心の奥が無意識に疲れている時に??…よくわからないけれど。

そんな時に現れる入口。

 

クラシック。

先日、生まれて初めて細野晴臣さんのライブに行ってきた。

恵比寿のリキッドルーム。

スタンディングで随分お客さんが入っていた。

ミュージシャンやその界隈の人たちも多数来ていたようだ。

ライブの前日まで入院していた、という細野さん。それにもかかわらず聴かせてくれて、クスッとさせてくれて、アンコールまでしてくれた。

ヒーラーのような人だな、と思った。

会場は若い人、そうでもない人、いろんな国の人がいた。800人以上の人がいるのにどこか落ち着いていた。聴き方も丁寧で自然だった。そして、終始耳に優しい音が会場を響かせていた。「ハコ」も心なしか喜んでいるような感じがした。

 

そんな細野晴臣さんの新譜が出た。

『Yours Sincerly』。

「思い遣り」という意味を持たせたかったそう。

混迷のこの時代、力の原理などではなく、大昔から地球を覆っていたであろう「母性」(母船)的なるものの密かな希求がいろいろな形で表出してきているのを感じてのことらしい。

『Yours Sincerely』はそんな時代の雰囲気を音にしたアルバム。

 

一度目に聴いた時はあっという間に通りすぎた。30分弱のアルバムだからかと思った。そして二度目、三度目…気づけば10回以上リピートしていた。五感が、六感が喜んでいた。

そして就寝前にイヤフォンで少し音量を上げてなるべく全ての音素材を追うように聴いてみた。

広がる広がる。

何かが途方もなく上下左右左上右下右上左下…と拡がっていった。

細野さんが膨大な時間を音と触れ合い耳を澄ませ耳を埋めながら作っていったのかなと感じた。

 

今回のアルバムには、リストやベートーヴェンやマクダウェルのクラシックの比較的ポピュラーな楽曲をもとにしたものが入っている。細野さんの備忘録的なものかもしれない。

ロックやジャズに洗礼を受けた人が段々とクラシックに傾倒していく、ということはよくあることだと思う。クラシックとかジャズとかポップスなどというジャンル分けというのは音楽が商業に取り込まれた際の便宜的なもので、ジャンルで音楽を捉えた挙句に偏った音楽経験になってしまうこともあるように思う。

以前ピアノのレッスンでベートーヴェンを弾いたら「ベートーヴェンはムード音楽じゃないのよぉぉぉぉぉ!」と先生からこっぴどく怒られたことがあった。まあ、何かが著しく違っていたのだろうが、「ムード音楽だって音楽ですよ」と心の中では思っていた。

 

今となると、やはりクラシックの持つ純度のようなものの高さは他の音楽には見当たらないような気がする。特にバッハ以前のものにそれを感じる。

ラモーとかリュリとか。

ヴィヴァルディはギリギリ、かな。

それに比べるとバッハさえどこか人間っぽい匂いが強い感じを覚える。そして古典派、ロマン派と匂いは更に強くなる。ヒトが「美メロだ!」と感じるのもこの辺りの作品の中に多く出現しているのではないだろうか。印象派はどうだろう?ラヴェルは結構純度を取り戻そうとしていたのではないかと感じる。しかし、その後現代音楽になるともう混沌としてくる。無調やらなんやら…一時は面白いと思ったが、だんだんと息苦しくなった。モダンアートを観ている時にも感じることのあるあの息苦しさに似ている。そしてその後に来る古典回帰的なシルヴェストロフの美しさや吉松隆のリミナルな美しさにホッとさせられる。

 

コシミハルさんが細野さんのラジオでだったか「わたしはロックを通っていないから」と言っていた。ポップスやジャズのミュージシャンの音を聴いているとクラシックを通った人と通らなかったひととはなんとなく音楽の雰囲気や楽器の弾き方でわかる気がする。

ジャンル分けなど…と言いながら、やはりクラシックはクラシックなんだなと改めて思った。

時間の流れの中で風化せず残ってきた音楽たちがいる。それらをこんなに身近に味わえる今の時代って贅沢ですねぇ…

プォッ、プフ。

いつになく食べ過ぎてしまった。

そのせいか眠りにつく前、俄かに胃がもわもわとし大層落ち着かなくなった。

 

今日一日に食べたものたちとそれらが胃に入っていく様を思い描いてみた。

なるほど、こうなるのも無理はない。

心底胃に申し訳ない心持ちになった。

 

手のひらで胃をぽんぽんしながら話しかけてみた。

「今日はたくさん頑張ってくれたね!無理させちゃってごめんね。でもありがとね」

「グググ…キュルキュル」

「ゆっくりでいいからね、消化」

「グプキュルキュ」

「これからは食べ過ぎないように気をつけるね」

「グルキュ」

 

翌朝、目覚めたら昨日のことが嘘のように胃がスッキリしていた。

「うわぁ!すごいね!!私が寝ている間にこんなふうにしてくれていたなんて!!!」

「クゥ〜…クォッポッポ」

「朝ごはん、一緒に食べようね!」

「クックォー!」

 

こうしてだんだんと胃と仲良しになった。

 

腸には時々労りの言葉掛けをしていたが胃には話しかけていなかったのは申し訳なかったなと思う…と書いていたら、早速胃が話しかけてきた。「プォッ、プフ」。

 

 

 

 

 

 

気がつけば…

気がつけば今年ももう3ヶ月が経っていた。

 

すごいスピードでやってきている世界の混沌に圧倒され続けてぼんやりしてしまう。

 

元々人の世は混沌。

宇宙の始まりも混沌。

 

目を閉じれば世界は消える。

目を開ければ世界が現れる。

 

ちょうどいい世界でちょうどよく暮らしていたいだけなんだけどな。

 

ちょうどいい、は退屈さや適度な行儀よさの積み重ねなのかもしれない。

 

ちょうどいい、にはそれなりの地味な継続的努力が必要。

 

「もっともっと」より、今は

「ちょうどいい」

くらいがちょうどいい。

 

 

おにいさんと聖域。

駅へと続く近所の繁華街通り。

風俗店や飲食店やスポーツ用品店などがひしめき合っていた。

朝、出勤するのに駅へ向かう時に通ると夜の残り香を漂わせた人々とすれ違ったりしていた。

そんな通りがここ数年でどんどん更地になりあちらこちらに新築マンションが立ち続けている。

建設会社が建てたフェンスの隙間に広大な更地がのぞいているところもある。

またショッピングモール付きの集合住宅でも出現するのかな。

新しい風が街に馴染んだ昔ながらのいろんなものを根こそぎビュンビュン吹き飛ばしている辺りを、頭の先や靴の先(またはその両方)をとんがらせたスーツ姿が薄い皮の鞄を片手にウロウロしている。

見慣れた街がどんどん変わっていく。

新しくきれいになって楽しみだね、と言えるほどノリがいい性質だったらワクワクしちゃうのにな。

 

これまた近所に昔ながらの木造の平屋建てがある。

かつては自転車屋さんだった。

小学生から中学生の頃は家族もわたしも自転車を買うのはだいたいこのお店だった。

先代が丁寧な手書きで住所や名前を自転車に書いてくれるのだった。おにいさんは先代と一緒に働いていた。おにいさんは先代の倅で、ちょっと話の通りにくい不思議な印象があった。

先代が亡くなってからしばらくはおにいさんが店をやっていた。「これ、本当は〇〇〇〇◯円なんだけど安くしとくわ」というのがおにいさんの口癖だった。

やがておにいさんは自転車屋を畳んだ。

それからは店舗の部分もおにいさんの居住空間となっていった。屋根のような防水素材の庇からは煙突が顔を出している。ストーブがあるようだ。

おにいさんはいつも同じような出たちだ。黒い長靴は定番だ。

家の外壁に「駐車禁止」などといろいろ手書きをしてある。

「同時多発テロ」のような物騒な言葉が飛び交っていたころには、「多発ゲロ地帯」「ゲロ禁止」とおにいさんの手書きで書かれていた。

そういうことがあったのだろう。

迷惑なひとがいたものだ。

 

おにいさんは家のメンテナンスにも余念がない。

屋根に伝う植物を切ったり、外壁(というか囲い。隙間からちょっと聖域の中がのぞけている)を補修したりなど、など。

おにいさんの聖域の周りも段々とマンションが建ち始め、聖域の隣もマンションになった。

きっと今日まで地上げや立ち退きや建て直しといった類の話をいろんな業者に持ちかけられ続けてきただろう。時には乱暴な騒音もあっただろう。

そんな中でも直向きに、ブレることなく大切な聖域を守り続けている。

聖域の半径数メートルの建物は昔のままの風情が残っている。

これもまたおにいさんの霊験かもしれない(或いはさりげなくおにいさんを護ってあげているのかもしれない)。

 

時の流れの中で段々といじけた気持ちになることも増えてきたが、おにいさんの聖域を目にするたびに「よし!」と心の中で小さくガッツポーズをしている。

この先も時代の風圧は上がっていくだろう。

占いでは「地の時代」から「風の時代」へ移行した、と言われているらしい。

地に踏ん張って風圧に耐えてみたり、風に乗って飛んでみたり、飛んでは振り落とされてみたりしながら暮らしていくのだろう。

 

ペットロスな当日。

先週の土曜日(10/18)はRumi&Yukkoのやりたい放題vol.14でした。

いらして下さった皆様、ありがとうございます。

 

本番の四日前、15年一緒に暮らしたコザクラインコのポポちゃんが突然あちらの世界に行ってしまって、そのショックでまともにピアノが弾けないでいました。

 

悲しみで呆然としたまま当日が来ました。

 

もう呆然の中で弾くしかないなぁ…と思いながら会場の虎ノ門まで電車の中で呆然としていました。

季節外れの太陽が降り注いでいたけれど、周りを流れる景色は褪色しているように見えました。

 

会場に着いて、共演者のYukkoさんとPeruruさんにお会いして、お話をするも、自分が話しているような実感がないままのぼんやり具合でした。

 

お客様も入り始めていよいよ開演時間となりました。

 

Peruruさんがブラームスを弾いて、その後にYukkoさんがバッハを弾きました。

Yukkoさんが演奏前のトークで「人前でバッハを弾くなんてわたしにとっては正気の沙汰ではない」と言っていました。

正気の沙汰ではない…という言葉を聞いて、わたしの中の何かが弾けました。

今のわたしは正気ではない。

もう正気ではない様をそのまま見せてしまおう、と。

 

休憩が終わり、自分のステージとなりました。

気づくと無心に弾いていました。

まるで自分の部屋でひとりでピアノを弾いている時のような感覚でした。

何も気にせず、何も意図せず…

人前でこんなふうに素直に弾いたことは今まであったかどうか…

 

不思議な体験でした。

 

最後に弾いた『虹の彼方に』。

この曲を弾こうと思ったのは前日でした。

虹の橋の向こうに行ったポポちゃんのことを考えていたらこの曲が浮かんで来ました。

ずっと昔にどこかで弾いたことがあったかもしれません。

YouTubeでは弾いたことがなかった曲でした。

メロディを確認して、調性を決めて…それ以上のことはしませんでした。

 

触れているピアノの響きを聴きながら、静かに、静かに弾いていました。

お客様たちにもそのまま響いていってくれたようです。

 

さっき、YouTubeでも弾いてみました。

演奏会当日の演奏そのままとはいきませんが、なんとなく覚えているイメージを少し入れながら弾いてみました。

ポポちゃんも聴いてくれるといいなぁ…

 

https://youtu.be/bWxtH6ghijc?si=TiedUQJzIaU48RVS

くしゃみをしても…

咳をしても一人

…と詠んだのは尾崎放哉。

 

くしゃみが出やすい。

くしゃみをすると、一緒に住んでいるコザクラインコのポポちゃんが「ピッ」と必ず言ってくれる。

気配を察知してくしゃみをする寸前に言うこともある。

 

集合住宅に住んでいる。

外出先から帰ってきて、エレベーターに乗って部屋のある階で降り共用廊下を歩いていると「ピッ」と聞こえてくる。

すごい能力。

 

りんごが大好きなので、ほぼ毎日おやつにあげる。

「おいしい?」と聞くと「ピッ」。

これを繰り返していたら、だんだんとポポちゃんのほうから「プゥピィ!」(おいしい!)と言ってくれる。あんまり美味しくないりんごのときは何も言わずしゃりしゃり音を立てながら黙々と食べる。

 

音に敏感である。

お皿が触れ合う音を立てるたびに「ピピピッ」と怒られる。

食器棚からごめんごめんとポポちゃんに謝りながらお皿を出す。

料理用のタイマーの音や電子レンジの音はほぼリアルに再現できる。

 

自分の周りに誰も人が見当たらない時は「ピピッ(どこにいますか?)」と声を掛けてくる。

出かけて帰ってきて玄関のドアを開けると「ピッ!(おかえり!)」と言ってくれる。

 

晴れた朝にはカーテンを開ける前から起きて起きてと飼い主にアピールをする。

ケージの入り口を開けると飛び出してきていつもの定位置に飛んでいく。

定位置は梁と食器棚との間の縦15センチくらいのわずかな隙間。横には1メートル以上ある。

そこがポポちゃんのテリトリー。

ずっと前から狙っていた場所。

セキセイインコのピコちゃんがいた頃はふたりとも基本的には自分のケージにいることが多かったけれど、ケージの外にいる時はポポちゃんはよくその場所に行っていた。

 

テリトリーで行ったり来たりトテトテトテトテ楽しそうに走ったり、お昼寝したりする。ごはんもそこで食べる。夜眠る時以外はほぼテリトリーにいる。

キッチンペーパーの芯が大好き(?)で、見せると飛びついたり穴に頭を突っ込んだり、芯を動かすとものすごいスピードで着いてくる。

身体能力おそるべし!!

 

大腿部骨折をしたことがあった。

もうヒトで言えば80歳を超えていたので獣医さんも「手術はちょっと…」ということで様子見になった。

しばらくケージの下の方で療養していたが、ある時いつもの定位置に飛んでいった。

獣医さんは「あまり飛んだりさせない方が…」と言っていたが、もうポポちゃんの好きにさせてあげると、メキメキ元気になってきて、トテトテトテトテができるようになった。

 

トイレの場所も自分で決めて、食べ物決して変なものを口にしないし、家の外にも出て行かない。賢くて自立したところもある。

小さな頃に一度、何かの拍子に家の外に出てしまった。気づかずにいたら、どこからかポポちゃんの呼び鳴きがするなぁと思ったらベランダの洗濯物の洋服のポケットの中だった。

困って助けを呼んでいたのだろう。

 

東日本大震災の時にもコロナ禍にもずっとこの家にいてくれたポポちゃん。

3日前、突然虹の橋を渡ってしまった。

ひとりケージの中で。

 

今朝、くしゃみをした。

「ピッ」が聞こえなかった。

ああ、もういないんだ。

 

テリトリーの食器棚の上もがらんとしている。

トテトテトテトテも聞こえてこない。

ああ、本当にもういないんだ。

 

なんか家の中もしんとしちゃってるよ。

15年も一緒に暮らしてくれて本当にありがとう。

長々とヒトの暮らしに付き合わせちゃってごめんね。

ポポには本当にお世話になったよね。

でも本当はまだポポがいないことがよくわかんないんだ。

ポポ、とか、ポポちゃん、とか、ポンポコリンちゃん、とか、おポポちゃん、とか、ポッちゃん、とか、おポッちゃま、とかいつもみたいにいろんな名前で呼びかけちゃうんだ。

時々ポポの声も聴こえちゃうんだ。

 

でもいいよね。

まだいるんだから。

ね。

どこにいるのかな。