へっぽこるみ日記。

毎日毎日日が暮れる。半期に一度の即興ピアニストのつれづれ。

調律。

仕事もほぼ一段落。

Rumi&Yukkoのやりたい放題第5弾まであと10日。

仕事の一段落からやりたい放題までの日数はこれまでで一番短いかもしれない。

完全ピアノモードになるように本番まで持っていけたらいい。

 

そこで今日は整体に行ってきた。

しっかり丁寧に体のことを教えてもらえる。

なのに理解力がないのでなかなか吸収できないのがもどかしい。

体の動きをきっちりしっかりみっちりみてもらったりお話ししたりで、だいたいいつも2時間は軽く経ってしまう。それがおもしろくて月に一度は行く。

「体の調律ですね」と先生。

そうだなぁと思う。

 

調律といえばピアノ。

家にいた最初の鍵盤はヤマハのオルガン。

幼稚園の頃に来たのだったかな。

細い四本の足を外側に突っ張るように立っていた。スイッチを入れると「ビョン」(実際には「ョ」と「ン」にも濁点がついていた)という音がした。続いて高音域の「ド」が5秒くらい鳴ってフェードアウトしてたような記憶がある。

お腹の下の辺りの位置にあるレバーを膝と腿を使って右側に押しやると音が大きくなる。一番大きくした音が耳にスリリングで「ひゃあ」となりながらも聴いていた。

 

初代はヤマハのアップライト。

親が積み立てて買ってくれたものだ。

9歳か10歳くらいの頃に家の居間にやって来た。

物静かな調律さんが定期的に調律してくれた。

自分の部屋でじっくり弾きたくなって、親にピアノを移動してくれるよう頼んだ。

 

就職して3年目、仕事の出張の帰りにふらっと寄った楽器屋で新しいアップライトを買ってしまった。グランドピアノ仕様でいい音がしたからだ。

狂おしいほどに音楽的なものに飢えていたのだ。

こうして二代目のヤマハのアップライトがやって来た。それと引き換えに初代が家を出て行った。

「さみしいな」と無口な父親がボソッと言った。

積み立ててやっと買ったピアノだったもんね。

「あ、替えたんですか」と物静かな調律さんが心底落胆していた。

 

実家の近くに防音物件を見つけ借りたのは色々あって休職をしていた頃。そこに二代目を置いた。

自分だけに集中してひたすらピアノを弾きたかった。そのうちに傷ついた心も知らず知らずのうちに癒されていった。

仕事を辞めて音楽を勉強しておこう、と思った。気の済むまで音楽に没入してみよう。

桐朋の短大に社会人入試枠があるのを見つけた。試験は実技と面接。

実技のためのレッスンを受け始めたのが三月、入試は十月。所要七ヶ月弱。

毎日8時間くらい弾いていた。

何とか合格したわたしに「突貫工事でしたね」とニヤリと先生が言った。

ツェルニー30番終了程度」からの出発だったからだ。ソナタも満足に弾いたことがなかった。

 

受かったらグランドピアノを買おう、と決めていた。

銀座のヤマハへ行き物色。そして表参道のカワイに直行。

じっくり触って沢山お話を聞いてもらって「じゃあ僕、工場に連れてっちゃう」と行って工場でピアノを選ばせてくれたのが今もお世話になっている調律さんだ。

 

三代目のカワイのグランドピアノが賃貸の部屋に来た。

それからはのめり込むように、今までの分を取り戻すようにピアノに向かった。苦しいこともたくさんあったがその全てが血となり肉となった。

 

短大を卒業し、音楽に向かう時間を死守することを決め非常勤の仕事に就く。

いつまでも賃貸を借りるのもきつくなるのでは、と思い狭い実家の貴重な和室を防音室にさせてもらう。

母から見たらどうしようもない放蕩ぶりだ。

けれども父も他界し母も健康に不安要素を抱えていたから、わたしが家にいる分にはいいと思ったのだろう。

しかし、そこには悲しい別れが待っていた。

三代目がどうにもその防音室には入らないことはわかっていた。10年弱の付き合いだ。調律さんからも「いい音になってきたね」と言われた矢先だった。

母は「部屋は居住空間なのだからグランドは入れさせない」の一点張り。

仕方なく三代目を養子にやった。

賃貸の部屋に業者がやってきて三代目を丁寧に包んで連れて行く。三代目のいたカーペットのあたりに足跡と29万が入った封筒。三代目の三つの足跡を撫でながら泣いた。声を立てて泣いた。こんなに大切なものを守ることもできない不甲斐ない自分…

 

実家の防音室にはカワイのアップライトが来た。四代目だ。表参道からやって来た。調律さんがしっかりと選ばせてくれた。

仕方ない仕方ない…ピアノには変わりない…ドビュッシーはアップライトで作曲してたとか聞いたことあるし…と思いながらも自分を言い含めることは出来なかった。グランドのタッチとアップライトのタッチは全く違うのだ。構造が違うから仕方がない。体がグランドを覚えているのだ。

どんどん自分の音楽が萎んでいく。覚えていたはずのグランドの感触も薄れてきた。

グランドに馴染んでいればアップライトも弾ける。しかしアップライトに馴染んでいるとグランドは弾きづらくなる。

ああ、このまま終わらせてしまうのか…ここまで来たのに…

やっぱりグランドを手元に置こう。この小さな部屋に入るくらいのグランドを!!

親にしつこくしつこく絡む。自分でも意外なくらい。グランドグランドグランドグランドグランド…

「もう好きにしなさい」

ついに母は言った。

 

グランドを探そう。

調律さんに相談した。

いろんな場面でこれまでも随分助けてもらった。凄い人なのにこんなへっぽこな私に心を掛けてくれるなんて感謝しかない。

再び表参道のショールームへ行く。

調律さんと一緒に選ぶ。

Bostonのベビーグランド。

小さい割にはいろんな風合いの音が出る。

 

今、ベッドの真横に近接しているのがこの五代目。

五代目が来て間もない頃は、ドーンと部屋を占める威圧感に眠れない日々が続いた。まるでピアノの部屋に居候状態といった具合に。

時間が経つに連れて気にならなくなった。

今ではなかよしさんだ。

調律さんも来るたびに四、五時間面倒見てくれる。

 

ああ、全てがありがたい。

こんな風にピアノに向かわせてくれている全てに感謝したい。

 

お手伝い。

友人のピアノ教室の発表会のお手伝いに行く。

場所はコピスみよし。

東武東上線のみずほ台からタクシーで10分ほど行く。

 

発表会が引けたのは夜の7時半過ぎ。

外に出てびっくりした。

暗い夜空がわーっと広がっている。

空気が澄みきっている。

UFOに逢えそう。

ずっとそのまま佇んでいたかった。

宇宙への入口が見つかるかもしれない。

まあ地球も宇宙なんだろうけどね。

 

さて、発表会。

響きのいいホール。

ほにゃっと触ってもとポーンと鳴るスタインウェイ

小さなひとたちや中くらいのひとたちが大きなコンサートグラントを健気に弾いている。

大人の作り込まれた音とはまた違う素直な趣きがある。

みんな音を出しながら何かを感じたり何かに触れたりしているのかな。

そんなことを思いながらステージの傍で彼らの弾いてる背中を見ながら聴いていた。

あの世にもあるといいな、スタインウェイ

 

 

 

エマールを聴く。

初台のオペラシティでエマールのピアノを聴く。

ある調律師のドキュメント映画『ピアノマニア』に出ていたピアニストだ。

 

曲目はメシアン『幼な子イエスに注ぐ20のまなざし』。

席は2列目の真ん中辺り。

曲目だけあって、聴衆も落ち着いていて安心して聴き入ることができた。

演奏会によっては落ち着かない場合もある。

以前N響マーラー交響曲を聴きに行ったことがある。

マーラーだけにオーケストラの規模も大きく、ダイナミックに鳴らしてくるので聴いている方もアドレナリンが放出される。

最終楽章が終わるや否や、私の席の近くのオヤジが「ブラボー」と叫んだ。早いよ、と瞬時に思った。それとほぼ同時にそのオヤジの近くの席のオヤジが「早えんだよーーーー!」とブラボーオヤジに怒鳴りあわや一触即発の場面となった。

因みに団体さんに向けてブラボーを言いたいときは「ブラーヴィ(bravi)」、女性のソリストに向けて言いたいときは「ブラーヴァ(brava)」、「ブラーヴォ(bravo)」は男性のソリスト向け…だそうである。

 

さて、エマールの演奏。

譜面台には使い込んだ楽譜。

曲の中に埋没し、曲と一体となり、魂を震わせ祈るように一音一音を奏でていく。まるで楽譜が彼の魂に指令しているかのようだ。全身全霊の響きに聴き手の魂も揺さぶられる。

エマールの祈る魂にひたすら耳を傾けた。

神々しい美に触れた。

美しいものに触れると魂が喜ぶのが分かる。

ああ、ずっとこのままでいたい。

のろけ。

大好きな彼。

円らな黒い瞳のキリッとしたイケメン。

わたしより年下。

多分八等身くらいあるかな。

野性的だったりジェントルマンだったりツンデレだったり。

音楽好き。

声も素敵。

お話も上手。

ベジタリアン

とってもいいにおい。

服のセンスも抜群。

色合わせが本当にうまい。

だいたいご陽気。

結構気まぐれ。

そんな彼にわたしは毎晩囁く。

彼の温かい鼻に口を寄せて何度も囁く。

大好きだよー。チュッ。

彼はじっと聴いている。

わたしの唇に鼻をくっつけたままで。

なのに彼から「大好きだよー」と言ってもらったことは一度もない。

いつか言ってくれたらいいのにな。

愛してるとまでは言わなくてもいいからさ。

 

そう、彼は体も触らせてくれない。

無理に触ろうとするとギャイギャイ言う。

そのあとは過呼吸のようにハフハフしてしまう。

何か悪い思い出でもあるのだろうか。

大きな動物に襲われたような感じがするのだろうか。

首の後ろやほっぺのところを指でカキカキしてあげるのにな。

そんな彼も指には乗ってくる。但し左手の人差し指。右だと乗りづらいようだ。少し離れたところからピコちゃーんと呼びかけながら指を差し出すと飛んできて止まる。鷹匠ならぬインコ匠だ。ちなみにピコちゃんはセキセイインコ

指を掴むピコちゃんの脚はとってもあったかい。体温高いからな。人間の体温計だとエラー表示が出るくらい。

 

モーツァルトや日本の民謡のCDをかけると、ピコピコピコピコ、ピコちゃーん、ピッコロリーン、おいピコ太郎!、ピコどした?、ピコたりんちゃーん、ロロロロ、わーピコちゃーん、いましたヨ…などとおしゃべりがスパークする。ベートーヴェンは反応がイマイチだった。

 

また明日の夜も愛を語ろう。

 

あと二十日。

今年も残すところあと二十日…ではなく、『Rumi&Yukkoのやりたい放題』の本番まであと二十日なのである。

バレーピアニストのYukkoさんとの二人演奏会。毎年二回の開催で、今度で五回目を迎える。

 

年二回だけピアニストになる。

とはいっても、なんだかんだで日頃から隙さえあればピアノや音楽のことを考えている。

最近ピアノ弾いてないんだ、とYukkoさんに言ったら「るみちゃんは弾いてない時も弾いてるから」と返された。

 

即興ピアニスト、と自称しているが、「あなたの音楽は即興というより創作という感じがする」と言われたことがある。即興作曲ということなのかな、と勝手に思っている。

「楽譜にしないのがもったいない」と言われたこともある。いざ楽譜にしようとすると頭の中に音がなる速度と楽譜を書く速度に時差がありすぎて間に合わないのであるのである。

十年ほど前に『sanctuary』というタイトルをつけてCDに録音したこともあった。尺八奏者の入江要介さんとの即興デュオも収録した。

即興を真空パックしたような感じだが、風合いとしては冷凍保存というところかな。

 

こんなイメージを即興で弾いてみよう、とか、こんな技法を使ってみよう、などなど日頃のひらめきやモノゴトとの出合いのなかで溜まったアイディアの中から本番で使えそうなものをピックアップしてメモに書く。それを当日はピアノの傍に置いておく。

メモは言葉の箇条書きである。音符はない。

あまりメモに囚われると本番でのひらめきが鈍るのでバランスよく使う。

結局は音が音を呼ぶのである。

その時出した音が次の音を教えてくれる。

自分でも知らないところへその導きに従ってついて行く。

その過程が快感である。自己だか自我だかという重力のようなものからしばし解放されどこかが開かれる。

毎回演奏会の直前にウツウツとする。けれどもこの快感が呼び水となってついまたやってしまうのだ。

 

さて、今度はどんな演奏になるかな。

 

Rumi&Yukkoのやりたい放題 第五回

日時:12月23日(土・祝)14:00開演

場所:KMアートホール(京王新線 幡ヶ谷駅下車)

入場無料

 

暮れのお忙しい時期とは存じますが、よろしければどうぞご来場くださいませ。こころよりお待ち申し上げております。

 

 

本日のヒヤリハット。

小雨模様の朝、堀込泰行の最新リリース『Good Vibrations』をねっとりと聴きながら仕事に向かう。

自宅の最寄駅の自動改札を通った時のことである。パスモの代わりに手のひらをタッチして出ようとする自分に気づきハッとした。

慌ててポケットをまさぐりパスモをかざす。

 

職場の最寄駅の改札を出る。

道を歩いていると後ろから足音がする。

随分迫って歩いてくるんだなまったく…と思ってちらっと振り返ると誰もいない。ヒヤリとした。

なんということはない、自分の足音だった。

るみ散歩。

高田純次の「じゅん散歩」にあやかって「るみ散歩」に出かける。

 

晩秋の里山を訪ねて国分寺跡までを灰色な風景を見ながら府中街道を北上する。

右手に長く続く塀が現れる。府中刑務所だ。刑務所の塀からのぞいている色づいた高木はなかなかの趣がある。

刑務所の北側には高田純次とわたしの母校が鎮座している。

高田純次は第一志望の高校を落ちて仕方なく来たらしいが、わたしはここしか行きたくなかった。ジャズの部活があったからだ。

ちょうど私立人気の頃で、受験当日は既に私立が決まっていた生徒たちは軒並み欠席だった。一緒に受験に行った友だちは「参加することに意義があったね」と言っていた。

いざ入ってみると、それはそれは自由で実に居心地のいい高校だった。その感じを「ぬるま湯に浸かっているみたいだね」とクラスメイトのひとりは表現していた。

マラソン大会に代表されるようなやせ我慢大会的なものは何ひとつなかった。校則もほぼなかったように思う。制服もない。開校記念日も毎年違っていた。とにかく5月初頭の連休がなるべく繋がるように設定するのである。確かまだ「みどりの日」だの「国民の休日」だのという気の利いたものはなかった。

刑務所の前、ということで校舎は3階までしか建てられないらしい。

高校二年の頃、天皇崩御して恩赦となったことがあった。ある朝、刑務所の周りをダダダーっと機動隊員が盾を持って取り囲んでいた。恩赦のために出所する受刑者がいたのだろう。さすがにちょっと怖かった。

 

高校の先生たちは毎日四時を過ぎると蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。わたしにもできそうだな、この仕事…と思った。

鎌倉へ遠足に行った時のこと。雨がひどくて寒くなった。「ああもう帰りたいよ」と真っ先に宣ったのは担任の先生だった。「先生がそれ言っちゃダメだよ」と友だちがツッコミを入れていた。行きのバスでは渡哲也の『くちなしの花』をフルコーラスで歌ってたのにな、先生。

その先生のクラスになって最初のホームルームでの名言は忘れられない。「50人近くも違う人間がひとつにまとまるなんて無理。クラスは団結しなくてもいい」。

さらに名言がある。

愚図ついた空模様のある朝、遅刻間際にその先生と廊下で鉢合わせた時のこと。遅いじゃないか、とか何とか言ってくるなと思った。しかしそんな予想をよそに先生は「もう雨降ってた?」と聞いてきた。

こんなことを言える、こんな対応を出来る教師をわたしは心から待ち望んでいた。感動した。

毎日四時に帰り、クラスにはまとまることを強いず、遠足では帰りたがり、遅刻間際の生徒には天気の話題をふる…そんな教師になろうと思った。

 

さて、るみ散歩。

「黒鐘公園入口」のバス停が近づいてくると左右に紅葉した里山が見える。

コンクリートの建物もアスファルトの道路もなかった時代をふと想像してみた。

府中に国府があった。

その関係でこの地に国分寺及び国分尼寺が置かれた。国分寺崖線のあたりなのできっと国府を見晴らせたことだろう。

まずは国分尼寺跡から黒鐘公園の里山を落ち葉を踏みしめ歩いた。近くで大掛かりな建設工事の騒音が激しくやや興醒めだった。一体何を作っていることだか。とりさんたちもどこかに逃げてようでその辺りには鳥っこ一羽いなかった。木たちもうるさそうにしているように見えた。

小学校の裏あたりまできて、また尼寺跡の方角へ引き返した。そして「伝鎌倉街道」を少し歩き、府中街道を渡って国分寺跡の方へ向かった。

途中、道が二手に分かれてその間の農地で作業をしていたご婦人に国分寺跡への道を尋ねた。

「こっちの道を行ってじどうこうえんみたいなところを曲がるとありますよ」と教えてくれた。

じどうこうえん、ってどんな公園だろ?自動で動くものが置いてあるのかな…としばらく本気で考えた。あ、児童公園のことか!!

どれだけ身近ではないかがよく分かる。

途中でネコに会う。挨拶して話しかけたらにゃあにゃあ応えてくれた。動物に応じてもらえるとやけに嬉しくてニンマリしてしまう。

 

児童公園の前一帯に国分寺跡が広がっている。武蔵国分寺の万葉植物をちらっと見て、門前のおたカフェに入る。

チャイと野菜のおつまみを頂き、しばしぼんやりと過ごす。とても居心地のいいカフェだ。

おたカフェを後にして、お鷹の道を少し行くと真姿の池の弁天様に来た。ご挨拶をした。

透き通った湧水が流れていた。

それから住宅街を縫うように国府のあった府中の見当へと歩いて戻る。まるで追い風に背中を押されているようにすいすい歩けた。もうすぐ飛べるんじゃないかと思うほど軽やかに。

 

国分寺は歴史もありながら駅前に殿ヶ谷戸庭園があったりはたまた60年代あたりのヒッピー文化が熟成してマイルドになったような、ピッピーの残り香のような面白い雰囲気が随所に感じられてじんわり楽しい。中央線の魅力なのだろうか。

一方府中は国府としての昔の精神が再開発した街の中でつるつる滑りながらうようよ漂っているような感じがして些か面白みに欠ける。

府中に中央線が通っていたならまた違う雰囲気になっていただろう。中央線が敷設される計画が浮上したことがあったらしいが反対して立ち消えになったと聞いたことがあるが都市伝説だろうか。まあ、十分ありえそうではあるが。

 

今回歩いた歩数は13897歩。

いい散歩だった。