へっぽこるみ日記。

毎日毎日日が暮れる。半期に一度の即興ピアニストのつれづれ。

見得を切る。

風の谷のナウシカ』が歌舞伎になるらしい。

 

小学校の2年生だった頃の話。

放課後の誰もいない教室にいた。

忘れ物に気づいて取りに戻ったか何かしたのだったろうか。

ふと歌舞伎の見得をやりたくなったのだ。

そう、片手の掌を前に突き出して片足でおっトットットッとやる、あれだ。

もう一度辺りを見回す。

誰もいない。

よし、今だ。

おっトットットッ!

 

「なにやってんの?」

と背後から男子の声がした。

「い、いや…べ、べつに…ちょっと…」

 

自分で言うのも何だが、今と違って割に人気があってモテていた時代だった。年に一度の七夕集会では各クラスから織姫と彦星が選出されるのだが、彦星に抜擢されたほど(どれほどだ)の時期であった。

そう、彦星にである。

織姫は男子児童から、彦星は女子児童から選出されるのが通例だったのである。今思えばLGBTなどの先駆けだったのかもしれない。織姫に選ばれた男子児童の中から実はマツコのようなドラァグクイーンが輩出されてかもしれない。

 

ちょっと脱線したが、見得切りを目撃されてしまった。その後のことはよく覚えていないのだが、「あいつ誰もいない教室で見得切ってたぞ」などという噂も立たずことなきを得た。

もしかしたら彼と一緒にしばらく見得を切る練習をしたような気がしないでもない。

 

天真爛漫ないい時代だったな。

ミルキーはママの味。

柴田元幸 ベスト・エッセイ』(ちくま文庫)を読み始める。

その中に「ミルキーはママの味」というエッセイが入っている。

その中にこんな部分がある。

 

「ミルキーはママの味、と袋の裏には書いてある。『ママ』をすり潰して練って乳化剤を加えればミルキーができるのだろうか、という妄想がいままで何度柴田君の頭に浮かんだことか。」

 

なるほど「ママの味」!

 

そうなると「おふくろの味」も『おふくろ』をすり潰して味噌汁や肉じゃが等に入れていたことになる。

近年はおふくろの味が希少になってきているため、「おふくろの味」の代わりに「ママの味」を味噌汁や肉じゃがに入れることも多いがやはり「おふくろの味」には敵わないという。

ちなみに調味料の「味の素」は「おふくろの味」と「ママの味」が三対七の割で配合されていると聞き及んでいる。

ねぇムー民♪

『ムー1月号』を購入したのが数日前。

今日、仕事帰りに同じ本屋にふらっと寄ってムーの様子をちらっと見てみた。

今月号は白いビニール紐で羽交い締めにされているのだが、他の平積みの科学雑誌よりも山が小さくなっていた。

ムーを読むのが好きだったり、その手のお話が好きだったりするひとを「ムー民」と言うらしい。

そういえば今日職場の隣の席の人と話していた時、いつのまにか自然と「エリア51」とか「ロズウェル事件」といった話になった。

意外とムー民は多いのかもしれない。

一丸となってイェーイ。

新聞の新刊案内に

「一丸となってバラバラに生きろ」

という文字を見た。

なんの本だろう?

と思ってタイトルを確認する。

アナキズム

著者は栗原康。

インパルスの板倉がちょいとイケメンになったような感じの人だったような…前にどこかで写真見たことがあるような…ようなような。

本屋で実物を手にチラチラ眺める。

「ヒャッハー」「ウリャー」「チクショー」「イェーイ」「ファックザワールド」などなどやんちゃな文体の狭間でなかなか冷静なことを言っている。

本屋を一周回って結局『アナキズム』と『ムー1月号』を持ってレジに並んでいた。

お得意様ハガキで5パーセントオフになった。

あ!このハガキのことは人に言っちゃいけなかったんだった!!「言わないでね」ってハガキに書いてあったんだ!

イェーイ。

いつのまにか昔に。

森見登美彦の『熱帯』を読んでいる。

平成的なカバーを外すと昭和的な装丁が現れる。

 

その本の中にこんな一節が出てくる。

「学生時代、ある専門図書館で学位論文のための調べ物をしていた頃、膨大なカードが詰まった棚を調べたことがあります。当時はまだ電子化されていない目録を調べるためには、実際に現地まで出かけ、手作業でカードを検索する必要があったのです。」

 

大学の頃、ゼミのレポートや卒論を書く時など事あるごとにわたしもこんな作業をしていた。

それがいつのまにかもう昔話になり、あえて説明が必要になってしまったとは。

 

ネットが社会に普及したての頃、自分が求めている情報がすぐ手に入る便利さに感動を覚えた。足を運ばなくても世界がこちらにやってくる。布団の中で用が足りる。

しかし、それとともに情報に接した時の感激や感触が鈍く薄れてきた。手触りや肌感覚を伴わない情報はつるつるしていて脳に染み込む前に滑り落ちて行ってしまうのだ。それが常態化すると結果として記憶力が退化していく感覚がある。

 

半ば強迫的にアップデートが繰り返される世の中で、馴染みのあるものがどんどん追いやられ馴染みのないものに変えられていき、私たち自身にもアップデートを求めてくる。それが楽しくて仕方ないと思えればいいのだが、「こんなに落ち着くことのない不安の連続が文明社会を生きるという事なのだろうか。他の生物も同じような思いをしているのだろうか。そんなふうに思うのは歳のせいなのだろうか…」などと考えてしまうんだなぁわたしは。

また人間に輪廻転生させられてしまうのだろうか。

ふぅぅぅぅ。