へっぽこるみ日記。

毎日毎日日が暮れる。半期に一度の即興ピアニストのつれづれ。

シンクロニシティ?

UFOを見たことがない。

たぶん、ない。

見てみたいなと思う。

ここなら見られそうだな、という場所はある。

見たことないのにそんな感じがした場所だ。

 

ひとつは家から少し歩いたところにある公園。

夜散歩をしていてその公園を横切った時、なんとなくそう思った。小さい公園なのにやけに空が開けている。その公園に遊具があるのだが偶然にもUFOのかたちをしている。

 

もうひとつは東武東上線のみずほ台からタクシーで行ったところ。

毎年暮れに友人のピアノ教室の発表会のお手伝いをしているのだが、いつもは新座なのがその年はたまたまそこだったのだ。整然とした街並みで空が広い。そして冬だったせいもあるだろうが、それにしてもその辺りか空気感がなんとなく違っているような気がした。

 

この二つの場所は、漢字は違うが読みが一緒なことについさっき横尾忠則の本を読んでいる最中に気がついた。

どちらにも「みよし」という名前が付いているのだ。

なにか特別な意味でもあるのだろうか、みよし。

銀座参り。

土曜の歩行者天国の銀座は人、人、人。

 

まずはggg(銀座グラフィックギャラリー)で横尾忠則さんの瀬戸内寂聴『幻花』挿絵展を堪能。

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神戸の展示を観てからの挿絵展だったのもあり

ことさら横尾さんのイマジネーション量に気圧された。この感覚が快感だ。宗教体験というのはこんな感じなのかもしれない。

そこからヤマハへ。

楽譜売り場をしばらくそぞろ歩き階段室へ。

ヤマハの階段室は安らぎの場だ。家にあったらいいなぁと思う。

そして山野楽器へ。

ここの楽譜売り場はどうも買ってしまう。

この度も二冊ほどお買い上げ。

 

さて帰ろっと。

 

新神戸参り。

三度目の新神戸参り。

巡るは三ヶ所。

 

布引の滝。

横尾忠則現代美術館。

生田神社。

 

新幹線の新神戸駅の裏を20分くらい歩くと布引の滝(雄滝)に会える。

滝壺に吹く風がいい。

清々しいいい滝だ。

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横尾忠則現代美術館で横尾忠則を浴びる。

宇宙だか天上だかに繋がっていく。

癖になる。

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生田神社はなんだかいい。

お守りがかわいい。

 

そして…三宮の東急ハンズの地下にはインコちゃんがいるので必ず会いにいく。

脳内日記 その十。

その昔、ヒトは大変だったらしい。

「けが」というものをしたり「びょうき」というものになったりしてそれはそれは苦しんで死んだり、また「ふりょのじこ」というもので死んだりしていたらしい。しかもその死んだ体がそのまま残っていたという。

またその頃には「かぞく」と呼ばれる組織があったらしく、数人で一緒に暮らしていて、その形態を「かぞく」と呼んでいたのではないかということだが詳しいことはよくわかっていない。そしてその死んだヒトが属していた「かぞく」によって何某かの儀式(詳細不明)を執り行い、死んだ体を埋められたり燃やされたりしていたらしい。(なんせこの頃の記録は何かとてつもないことが起きたらしくほとんど残されていないのだ。)

それに引き換え、今のわたしたちヒトは寿命が近づくとだんだんと小さくなって傍目には見えないくらいになる。そして、しゅん、という音を立てて消えてしまう。なので死んだ後の体が残ることはない。それに寿命以外でヒトや動植物が死ぬことはない。

それに今は「かぞく」というものはなく、基本は個体で暮らしている。

 

そういえばヒトは昔は生まれるのも大変だったらしい。オスだかメスだかというものがいて、そのオスとメスが「なんだかんだ」して(「なんだかんだ」もよくわかっていない)メスの体から直接出てきていたらしい。

今わたしたち動植物はすべて卵からうまれる。

柔らかい弾力のある透明感のある白い卵が定期的に空からぱらぱらと降ってくる。(卵の数はその時々で違うが、誰が決めているというわけでない。)地面に当たってぽいんぽいんと跳ねながらあたりをコロコロ転がっているうちに孵化する。

集合住宅に衣食の揃っている部屋がたくさんある。孵化した後、空いている部屋にヨチヨチ歩いて行ってそこで暮らす。近くには充実した図書館、美術館、音楽館、体育館がある。図書館で本を読んだり本を書いたり動植物とお話ししたりする。美術館で美術を見たり創作したりする。音楽館で音楽を聴いたり楽器を弾いたり曲や歌を作ったり即興したり動植物たちとセッションする。体育館でひとりで体を動かしたり動植物とダンスをしたりする。

またこれらの施設は透明な物体(「とらぱれちゃん」)たちがが常時メインテナンスやアップデートをしているので、わたしたち動植物はそこで直感の赴くままに遊んだり、とらぱれちゃんたちの手伝いをしたりしている。お腹が空いた時や、朝寝や昼寝または夜寝をしたくなったら集合住宅にある部屋に帰る。ちなみに集合住宅のメインテナンスもとらぱれちゃんたちによって行われている。

とらぱれちゃんたちはしゅんと消えたあとの動植物たちだ。なのでお互い気心が知れている。

 

実はこの頃前よりちょっとちっちゃくなってきた感じがする。ま、そんなお年頃になってきたのかな。

まんしんそうい。

満身創痍。

まんしんそうい。

 

実はこの言葉の意味を相当長い間勘違いしていた。

この言葉を音で覚えていたのがいけなかった。

「まんしんそうい」

語感からすごくポジティブなニュアンスのある言葉だと感じていた。

「もう『まんしんそうい』だよ」

「『まんしんそうい』でやり続けてるよ」

とかそんな感じで聞いていたからだ。

そして言葉を聞くたびに勝手に頭の中で漢字を変換していた。

『満心総意』『満身創意』

「心から満面の笑みで大賛成しちゃう」

「全身全霊で物を作っちゃうぞ」というあたりの意味だろう思っていた。

そしてある時なにかの拍子に『満身創痍』の文字を目にし愕然とした。

『満身創痍』…なんだ、こんなに具合が悪かったのか、まんしんそういってヤツは。

傷だらけだったんだ、まんしんそういは…

いやいやいやいや…

これまでわたしに「まんしんそうい」の話をした関係各位にこの場を借りてお詫び申し上げます。

ごめんね、わかってなくて。

つい眺めてしまう。

今日買った堀込泰行さんのCD。

ジャケットがなんとも言えない味わいがある。目が離せなくなる。

ラクダと思われる動物の正面。

手書き感満載のレタリング。

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レコードも出ているので、そのジャケットはさらにインパクトがありそうだ。

 

そういえば中学の頃、美術の授業でレコードジャケットを作ったことがある。

それまで美術の評価は常に5段階評定で2だったのが、レコードジャケットとその後の空想画が評価され4に跳ね上がった。

その後はまた2へと返り咲き。

…じゃなかった、逆戻り。

 

実物をもとに写生、エッチング、版画、塑像、彫刻、といったことがかまるでダメだった。

レコードジャケットと空想画は実物がない。

頭の中に浮かんだデザインを遠近法や立体法など気にせずペタッと絵にしてもなんとかなる。

二次元の紙の上に三次元のものなど描くのはわたしにはどだい無理な相談だ。

三次元に見える絵を平面に描ける人ってすごいなと思う。

わたしの中では車の運転ができる人、ギターが弾ける人と並ぶ羨ましい人である。

憂鬱日和。

空気が少しひんやり。

空は曇りがちで低い。

そんな休日は憂鬱日和。

心のままに憂鬱に浸る。

憂鬱は悪いことじゃない。

むしろ自然。

憂鬱を無理に遠ざけなくてもいい。

憂鬱が来たら

「ああ、よく来たね」

と肩を叩き招き入れよう。

そして好きなだけ憂鬱と戯れよう。

そして憂鬱のお供には…

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なんていいかもしれない。