分身。
雪ブランコ。
分身。
雪ブランコ。
大雪一過の青い空。
税務署へ還付申告に行く。
毎年この時期に税金の過払金を取り返しに行く。年中行事。
昨年の確定申告期間前でも盛況であった。
パイプ椅子に座って担当署員に面通しされるのを待った。そしてまたパソコン入力まで待った。立ったまま延々と待たされ、みな殺気立っていた。照明もなんか暗い。しかも寒い。せめて税務署員に愛嬌があったよかったのに。キャラでも立たせておけばよかったのに。そういえば「さいばんいんこ」はまだいるのだろうか。
足を痺れさせながら体調不良や不機嫌な人々を横目になんとかキリンジを聴いて凌いでいたのを思い出す。キリンジ兄の『午後のパノラマ』をyoutubeでパワープレイしていた。
自宅のパソコンでも出来るが、どうにも癪なのでどんなに時間がかかろうが毎年税務署に出向くことにしている。
自宅から税務署までみぞれ混じりの中を歩く。
今年もまたさぞ殺気立っているのだろうと思い、ムーミンの本やらウォークマンやら待ち時間を快適に過ごすグッズを用意してきた。
ところが…今年は何だか様子が違う。
照明も明るく、パイプ椅子も心なしか多いように感じる。署員の対応も柔らかい。空気もあったかい。
佐川くんでイメージダウンしたからかな。
昔何かの本で写真を見て、一目見たいと憧れていたのにすっかり忘れていたものに偶然出くわした。
旅館、西郊。
仕事帰りの夕飯。
そういえばスープストック東京のスタンプカードが貯まってたな。
さて、何にするか。
いいじゃないか。
それにキノコのチーズスープをつけてここはひとつカレースープセットとしけこむか。
これでサラダがあったら完璧なのにサラダを置かない。
何か深いわけでもあるのだろうか。
席について早速食べ始める。
不味いわけではないのにいまひとつ物足りない。
これがスープストック東京の持ち味。
「こんばんは!(中略)これ北海道のなんからしいよ。どうぞ」とスタッフに差し入れをする客がいた。
ほほう、チェーン店を行きつけの店にするの巻、だ。あのおばちゃん、そういえばこの間もその前にもいたいた。
スープストックはBGMがいいから入りたくなるんだよな。
あ、この曲誰だっけなぁ。
うちにCDがあるはず。
いいメロディだと思ったんだよな。
ああ、思い出せない。
焦れったい。
綺麗な音出すのに弾きながらダミ声の唸りをトッピングするんだよな。
んー、誰だっけかな。
ああ、そうだそうだらキース・ジャレットだ。
帰宅後キースのCDをチェック。
『JASMINE』に入ってる「WHERE CAN I GO WITHOUT YOU」だ。
そうそう、これ。
よく見るとCDの帯にこんなことが書いてあった。
「あなたの妻や夫、あるいは恋人と夜遅くに、座って一緒に聴いてほしい。これらは、偉大なラヴ・ソングだ」〜キース・ジャレット
初めて知った。
なんだそうだったのか。
「このメロディいいな」「ここの和音いいな」「ここ、使えそうだな」などとひとりでねっとり聴くもんじゃなかったんだ。
ふーん。
でも仮に誰かと夜遅くに座って一緒に聴いたとしても、「ここがツボなんだよ」「このフレーズ、そう、このフレーズよ」「このベースライン、いいよね」「ああ、ここ、ベタだけどいいんだよね」などとやはりねっとり聴いてしまうのだろう。
この寒い時期に受験というのはなかなか酷だなぁ、と今は思う。
気温も低く日照時間も短く心身ともに冬眠モードのところで受験しろってぇのはおまえさん随分じゃあねぇかぁ、と。
わたしが受験生の年にセンター入試が導入された。
典型的な文系人間だったので文系三科目で受験ができる私大しか考えていなかった。しかし「都立大(現 首都大)は文系三科目で受けられるらしい」という噂を聞いてセンター入試を受けようと思ったが、センター入試の受験システムが誰に聞いてもさっぱり分からずやめにした。願書を出せば受けられるシンプルなシステムの私大受験にした。
受験間際に偏差値が10も下がったり、模試で合格安全圏だった横浜線沿いの「滑り止め」の大学に滑ったりとまあいろいろあった。
「滑り止め」を滑ったわたしの酷い意気消沈ぶりに自害でもするのではと心配した父親が会社帰りにケーキを買ってきてくれた。
その横浜線沿いの大学に受験しに行った時のこと。隣に座っていたヤツが「オレ、浪人で河合塾なんだ。君は?」と聞いてきたので現役ですと答えた。するとヤツは「浪人になったら河合塾、おすすめだよ!代ゼミより河合だよ!」
そう、この年は前年に受験に落ちたベビーブーマーが浪人となってわんさかなだれ込んだ年だった。塾の先生からも「浪人が多いから君たち現役生はよほど勉強しないと太刀打ちでない」と脅され続けていた。また「偏差値バブル」の時期でもあったので、どこの大学も身分不相応な偏差値を叩き出していた。
その横浜線沿いの大学の合格発表日、合格者受験番号が貼られた掲示板に自分の番号がないことをしかと確認し帰路についた。駅から離れた大学だったので、タクシーを相乗りして最寄駅まで向かった。
乗客は4人。みな一様に口を閉ざしていた。長い沈黙の後ひとりが口を破った。「どうでした、結果?」。「ダメでした」「私も」「僕も」という言葉が出てきた。
「ハハハハハ、なーんだ」「駅から遠いし(受からなくて)よかったよね〜」と一挙に空気が和んだ。
もしかしたら「合格した」と言うのが気まずくて合わせていたヤツもいたのかもしれないが今となってはもう確かめるすべはない。
その足で横浜線沿いの大学を滑ってきたことを塾へ報告に行った。先生が固まった。そりゃそうだろう。滑り止めを滑ったらあとはどこも滑るだけだと思うだろう。直滑降だ。
京王井の頭線沿いの方に行くことにした。
隣のおばさんが「本当はうちの息子にも行かせたかったのよ」ってお祝いをくれた。
偏差値ではなく縁があるところに落ち着いたのだろう。
第一希望のこれまた京王線沿いの大学は合格発表の掲示板のところで白いヘルメットを着用したお姉さんに「署名して!」と言われ、いや受かってないので…と断ったことが思い出される。こんなにパワーのある大きい大学には向いていなかったのだろう、と今になると分かる。
京王井の頭線沿いの大学は、立て看などほとんど立たないようなところだった(在学中に唯一立った立て看は「学祭ミスコン廃止」だった記憶がある)。