rumipianoのへっぽこるみ日記。

即興ピアニストrumipiano(岡本留美)のブログです。日々のつれづれ、脳内日記(創作日記)、演奏会情報などを載せています。YouTube公開中(『youtube rumipiano』で検索)。ホームページは「rumipiano ホームページ」で検索するとご覧いただけます。お問い合わせはrumipianosokkyo@gmail.comまで。

衝撃。

江戸時代の死生観など諸々の話を聞く機会があった。

 

講義の冒頭で講師の方が「死後の世界があると思ってらっしゃる方いますか?」と質問をした。

会場には60人以上はいたように思う。

ほとんどの人が手をあげると思い、元気よく手をあげた。

ところが、挙手したひとはまばらだった。

講師の人も「あ、いらっしゃるんですね、まだ」みたいな感じだった。

これには心底驚いた。

70代の母が「死んだら終わりよ。その後の世界なんない」と断言するのだがそんな風に思うのは稀な人だと思っていた。

自分の方が稀だったとは…

死後の世界があるからそんなに現世でしゃかりきにならなくてもいいやとほぼ半世紀近くになる人生でずっと思って暮らしていた。

 

そう、死んだら元々いた世界に戻るか輪廻転生するものだと。

だから「死後の世界」と言われて「元々いた世界」「輪廻転生後の世界」をイメージしていたのだ。

見学だか修行だか何らかの必要があって現世に送られたのだと思っていた。

みんなもそう思っているのかと思っていた。

そっか…

一度死んだら先は無いのかぁ…

だからがんばってるのかぁ…

 

確かに父親が死んだ時、「ひとはいつか死んじゃうんだ」と実感して「やりたいと思うことはやっておこう」と思ったのは確かだ。

でも死んだ先がないことなど全く念頭になかった。

 

だけど果たして本当だろうか。

輪廻転生はよくわからないが、元々いた世界は

あると思う。

そこでの記憶がなんとなくあるからここ(現世)に違和感を感じるのかもしれない。

ここにもう50年近くいるのに未だに馴染めないでいる。

時々ふと「ああ早く帰りたいなぁ」と漠然と感じることがあるのもそのせいなのかと思っているのだがどんなものだろう。

ああ、なんだかぼんやりしてきた。

春の嵐に期待。

『窓から見える世界の風』。

風の本だ。

世界に吹く風を紹介している。

解説と散文と絵で構成されたきれいな本だ。

読んでいると風を感じる。

 

ケープ・ドクター。

南アフリカ沿岸部に吹く南東風をそういうらしい。

オーストラリア西海岸で吹く西風もドクターと呼ばれているらしい。

これらの風は街の空気を一掃して疫病などを除いてくれるという。

 

明日あたり春の嵐になると予報で言っていた。

強い風が疫病を吹き払ってくれたらいいのに。

Rumi&Yukkoのやりたい放題第9弾開催。

Rumi&Yukkoのやりたい放題第9弾開催決定!

 

日時: 4月4日(土)

13:30開演 (13:15開場)

会場:b-tech Japan studio

出演:Yukko、Rumi(岡本留美

虎ノ門にあるビーテックジャパンの小さなスタジオ。最寄駅は地下鉄銀座線虎ノ門駅

*入場無料

 

クラシックや即興のピアノをお楽しみくださいませ。曲目は当日のお楽しみ♪

 

春の午後、どうぞふらりふわりとおでかけくださいませ。

 

ひさびさにあの感じ。

ひさびさに大腸内視鏡検査を受けた。

今回で3回目だったと思う。

前日は検査前の食事制限で素うどんや卵焼きや具のない味噌汁などで凌ぎ、就寝前にクリニックから出ていた下剤を3錠服用した。

寝ている間に催したら、と思うとなかなか寝付けずにいた。

朝方、やっとウトウトし始めたらお腹がキュルキュルし始めた。

トイレに駆け込んだ。

こういう時は家の狭さがありがたい。

血の気が引いて冷や汗が出て視界がモノクロの点描画のようになった。

これはマズい。

こういう時はポカリスウェットの出番だ。

ポカリを飲んでベッドでウトウトしているうちにすっかり治った。

さすが大塚製薬

一時的な脱水症状だったのだろう。

 

飲まず食わずで昼前にクリニックへ行った。

さあ次は腸洗浄が待っている。

検査用のブースに籠りムーベンという腸の洗浄薬を水で薄めながら二時間かけていただくのだ。

ムーベンと希釈用の水の総量は2リットルだ。

この作業を自宅で行うのはどうも気がすすまないので、クリニックで行うことにした。

家からは本やウォークマンや薬のお口直しの飴やらいろいろ持って行った。

カップ一杯に45mlのムーベンを水で割り、10分以上かけてチビチビやるのを繰り返すのだ。

時計をにらみながらチビチビと。

時折看護師さんが様子を見に来た。

1リットルほど頂いたあたりから兆してきた。

ブースのすぐ近くに専用のトイレがあり、ブースとトイレを往復した。

見た目の目安の写真がトイレに貼ってあったので、トイレに行くたびにそれを見ながら確認していった。

 

実は腸洗浄が好きなのだ。

腸を洗うと不思議と脳までスッキリするのだ。

やっぱり繋がっているんだなぁと実感できるのが楽しい。

今回もスッキリ感はやってきた。

アルプスの少女ハイジのようにアハハハアハハハ笑いながら走り回りたくなった。

ムーベンをほぼ飲みきったころには腸もすっかり洗われていた。

検査は今回も「眠くなるお薬」を使って行った。

眠くなるまでは行かず、ぼんやりしなからカメラが腸に入っていく様子を終始何となく眺めていた。

検査後は点滴をされて回復室でお休みするのだが、まだハイジのハイな感じがあるので動きたくて仕方ないのだが身体はそうでもないらしかった。

そのあとは結果を聞き、調剤薬局で止血剤をもらい(ポリープを切除したらしい)帰路に着いた。

翌日も朝から腸が上機嫌でしゃべっていた。

セキセイインコがご機嫌でぐるぐるぴーとかお話ししているみたいだった。

エディアカラとカンブリア。

カンブリア紀からだといわれている。

何が?

動物のなかで「食う・食われる」の関係が始まったのが、だ。

それ以前のエディアカラ紀にはそのように他と関わることはなかったらしい。

「エディアカラ楽園」という言葉もあるくらいだ。

それぞれ単独でのんびり過ごしていたらしい。

 

周りの進化に脅かされてついていくために、生き残るために進化ややせ我慢や背伸びする必要が生じたのはこんなに前からだったとは…

 

エディアカラ紀に生まれたかったなぁ…

 

でくの坊流。

たまに都会方面にお出かけしたり、仕事に行ったりちょっとまともなフリをすると途端に疲れてしまう。

 

そんな中、友人に誘われて『出雲と大和』展を見に行った。

上野界隈は普段の土曜日よりも人のごった返し具合がひどくなかった。

コロナウィルスの影響かな。

それでも会場内にはそれなりの人出があった。

マスク族がたくさんいた。

 

出雲や元伊勢や伊勢は訪ねたことがあるのでイメージしやすいところも多かった。

「国譲りに関する展示がもっとほしいよね」と友人が言っていた。

確かに。

不思議だなぁと思ったのは、展示にあった出雲の地図のなかに神魂神社や揖夜神社がないことだった。

神魂神社はあってもいいのになぁ。

主催者側の意図やいろいろあるのかなぁ。

どんなものも必ず誰かが意図して編集しているからね。

 

出雲大社があんなに大きかったのはなぜだろうと思う。

あれほどまでに大きくしないと鎮められないと思われた事案が出雲と大和の間にあったのだろうか。

恐竜とかいた時代は植物も動物も大きかったらしいが出雲族も大きかったのだろうか。

 

ひと通り見た後はお昼ご飯。

そのあと池袋に移動した。

個人的には滅多に来ない池袋。

パルコで開催中のキューライスさんの『フェムフェムランド』を見ようと思ったのだが、入場待ちの長蛇の列に気圧されて断念。

今日はサイン会あるからな。

人気あるんだなぁ。

 

パルコや西武をフラフラしてからお茶にした。

 

「よく水飲むね」

と友人が言った。

確かに。

上野のお店でもしきりに飲んでいた。

体が異変感じていたのだろう。

それから頭痛が来て首のあたりの筋肉が痛み始めた。

人の多い刺激の多い繁華街でときどき起きる症状だ。

体のでくの坊センサーが何かをキャッチしてるんだな、きっと。

 

帰りの電車で車内急病人にならないといいなぁと思ったが、なんとか新宿まで行けた。

京王線までたどり着き、座席を確保。

全身の筋肉が緊張しているのがわかった。

「顔に蒸しタオルを載せている感じ」とか「トトロのお腹に体を埋めている感じ」とか思いつく限りのほんわりした感覚をイメージしていると少し緩んできた。

最寄駅についた。

空を見上げて思いっきり空気を吸った。

何回か吸った。

修復されてきた。

 

人混みで頭痛が起きたり、電波の強いと思われるところで耳鳴りが起きたり、しっかり見ようとすると耳鳴りが起きたり、天気の変わり目に耳が詰まったり、季節の変わり目に魂が抜けたようになったり、なんか嫌だなという場所で肩が重くなったり、突然頭の後ろの方がぼんやりして世界が離れて行ったり…と不意打ちにあうことが日常茶飯事なのだが、世の中にはこんな感覚と無縁で暮らしている人々も多いのだろう。

 

多分自分はでくの坊体質なのだろう。

でくの坊にはでくの坊流の流儀があるのだろう。

へっぽこフラジャイルなでくの坊。

人一倍睡眠が必要。

やせ我慢は致命傷につながる。

いつの日かでくの坊流師範となってでくの坊流の地位向上を目指すことにしよう。

でくの坊流に未来あれ!

…とかいう展開はでくの坊流の流儀ではない。むしろ心身に支障をきたす恐れあり。

じわじわ、じわじわ、のらりくらり、といかないと。

「もしかしてでくの坊流でらして?」

「まあ奇遇!わたしもざますのよ」

表千家でらっしゃるの?」

「いえ、裏ざますの」

「あらあら」

「まあまあ」

…いやいや、これもなんか違うかな。

フフフ。

スマホとわたし。

スマホのバッテリーが弱くなってきたのか、朝の段階で90パーセント以上あったのに、出先でふと見ると30パーセントになっていたりする。

外出しない時はそれほど減りはひどくない。

駅などで使っているとあれよあれよと言う間に消耗していくことがある。

まるで自分を見ているようだ。

家でぬくぬくしていれば消耗しないが外でそれなりに振舞っているとあとでえらく消耗する。

 

スマホと一緒にお昼寝でもしようかな。

春の訪れを窓の外に感じながら。