伊勢まで遠足に行く。
泊まりがけで行ったことは結構あるが日帰りは初めてだ。
リュックひとつで行けるところが日帰りの気楽なところ。
常に時間を気にしなければならないのが日帰りの窮屈なところ。
新幹線や近鉄特急のチケットを買いに旅行社に行ったときはびっくりされた。
まあそうだよね、片道だけでも4時間くらいだもん。
日の出前の町を最寄り駅まで歩く。
まずは新宿まで。
新宿駅もまだ空いていた。
それから東京駅へ。
新幹線の中は行きも帰りも勤め人でいっぱいだった。
とんがった靴履いてパリッとスーツ着て指輪した手でパソコンを叩く男子が散見された。
そのときちょうど『柴田元幸ベストエッセイ』の「自転車に乗って」のこんなくだりを読んでいた。
「接触している二つの物体にあっては、原子が少しずつ行き来しあうことによって、物体Aは次第に物体B化していき、物体Bは逆にA化していく」
スーツやパソコンに接する時間が長いとスーツ化やパソコン化が進むのだろうか。
そういえば内田百閒が「うなぎ屋の亭主の顔はうなぎに似ている」というようなことを書いていた。うなぎ化するのである。
伊勢といえば今ではテレビなどいろいろなメディアで取り上げられているせいか夫婦や家族づれやカップルや団体でワサワサしているが、遷宮前はひとりでじっくりと神社巡りをしているひとがちらりほらりで、町は寂れながらも神域は清々しく落ち着いていい感じだった。ミシュランガイドに載る前の高尾山もそうだった。
「ここは遷宮でもってるから。20年に一度頑張ればなんとかなるんよ」とたまたま入った伊勢うどんのお店のおかみさんが言っていた。その時はそれがどんな意味だか分からなかったが、遷宮を経てキラッキラになっていく町を見て「ああこういうことか」と合点がいった。
東京駅を8時前発の新幹線で名古屋駅まで行き、そこから更に近鉄特急で外宮の最寄りである伊勢市駅に向かう。昼前に到着。
とりあえず消化のいい伊勢うどんを食べて少し休憩。
そして外宮を参拝。
それから隣接する度会神道の森へ。
最高の場所だ。手を広げ深呼吸をしたくなる。
それからバスで内宮へ。
外も中もピカチュウのだらけの三重交通(三交)のラッピングバスに乗ってニンマリする。
20分弱で内宮に到着。
内宮を流れる五十鈴川はいつ来ても澄み切って清々しい。
ひと通り参拝する。
内宮の近くにある神宮会館の前に「国民総参拝」と印字された幟がはためいていた。神域は好きだがこういう国家神道的なのは好きじゃない。前のめりさが不気味だ。そういえば今回は神域のシャキーンとした空気感があまり感じられなかった。神域がこの前のめりさに疲弊してなければいいが。
おかげ通りをちらほら見てから猿田彦神社まで歩く。
猿田彦さんと佐留女さんに挨拶をして御神田を見る。
それから月讀宮まで歩く。
ここはいつ来ても落ち着く。
駐車場も前に摂社があった。
「葭原神社」と書いてあった。この摂社があることを今回初めて気づいた。なんて読むのだろう?
剣祓を求めた時に宮司さんにこの神社のことを聞いてみた。
「あしはら」と読むのだそう。
元々この地域にあった信仰だという。産土系なのだろうか。外宮も元々は度会信仰の土地だったという。
アマテラスとスサノオはきょうだいだとされているがこのツキヨミもこの二人ときょうだいであるらしい(諸説あり)。
月讀宮へいくと、月讀と月讀の荒魂と両親のイザナギとイザナミが横一列に並んで祀られている。その風景がなんとも神秘的なのである。
お休み処で栗ぜんざいを食べながらお休みしてから、夕暮れの外宮や茜社をふらりふらりとして時を過ごす。
この時期は神社は五時で閉まるので周りのお店もそれに合わせて閉まる。空も暗くなる。月が欠けながらも煌煌としている。
そろそろ帰る時間だ。
短い時間だったけど案外堪能できた。
またそのうち泊まりで来て、瀧原宮や石神さんなどにご挨拶に来られたらいい。