どのような人生になるかという設計図を持って予め生まれてきているような気がする。
その設計図を分からないながら探り探り生きていくのが人生なんじゃないかと思う。
こんなこと言うと運命論者のようだけど、宿命というのはあるんじゃないかなと感じる。
祖母が亡くなったとき、祖母の家にあったいろんな書類などを整理していたときのこと。
残しておくものは残し、処分するのもはシュレッダーにかける作業をしていた。慎重に吟味し、取って置くものと残さないものを決めていた。
しかしある段階から頭がぼんやりしてきて「いいや、シュレッダーしちゃえ」とざっと眺めただけで取り憑かれたように処分し始めた。
そしてとても後悔した。
家の設計図があったのだが、それを勢いに任せてシュレッダーにかけてしまった。
手描きの設計図だ。
きっと祖父母がとても大切にしていたものなんだろうな。
家が建つまで毎日祖父が見に行っていた、という話も聞いたこともある。
なのになぜ簡単にシュレッダーしてしまったんだろう…
それからずっとそのことを悔やみ続けていた。
ああ、本当に祖父母に申し訳ない…
この10連休はほんの数日お出かけした他はほとんど家の中の整理をしていた。
それこそ取り憑かれたようにしていた。
全く広い家ではないが、見えないところが色々ごちゃごちゃしているのが気にかかってきた。
買い物の時にもらう紙やビニールなどのバッグがぐちゃぐちゃになっていたり、仏壇の引き出しが混沌としていたり、父の遺品や家族の古い衣類が雑然と引き出しに入っていたり…いろんな収納場所を気になっていたところから片っ端に整理し始めた。
掘り出し物を見つけたり持っているものを「なんだこれ使えるじゃん!」と再評価したり、スッキリ整頓されるのが楽しくて仕方がなった。
買ったものにあまりきちんと向き合って来なかったことを反省した。これではモノたちに失礼だ。これまでの度重なる無礼をモノたちに詫びる場面も多くあった。
祖母の家から引きあげてきたもので、シュレッダーの難から免れたものやその他のものを整理するために見返しているときのことだった。
手書きの図面の写しのようなものが出てきた。よく見るとなんと祖母の家の設計図ではないか!
シュレッダーしたことも取り返しのつかないことをしてしまった罪悪感も確かに覚えているのに…
あんなことを一体思い違うものだろか。
何度考えても不思議で不思議で仕方ない。
確かにシュレッダーをして、後悔して、母にも「あんたはなんでもすぐ捨てちゃうんだからもう」と言われたのに…
今自分がいる次元で手放したものも、他の次元では存在している…と聞いたことがある。
異次元に紛れ込んだのかもしれない。
ここはひとつそう思うことで自分の中の辻褄を合わせよう。
それも悪くない。
むしろワクワクする。
異次元バンザイ!