今日で連休も終わる。
休みの人が多い連休や休日はあまり気が休まらない。お盆休みや正月休みなども然り。普段一生懸命働いたりしている人が一生懸命休むからだろうか。
その点平日の休みはいい。
必死に休んでいる感を漂わせている人がいないせいか、空気感が違う。
あー自由だな、と青空を見てほくそ笑む。
純粋休日が待ち遠しい。
今日で連休も終わる。
休みの人が多い連休や休日はあまり気が休まらない。お盆休みや正月休みなども然り。普段一生懸命働いたりしている人が一生懸命休むからだろうか。
その点平日の休みはいい。
必死に休んでいる感を漂わせている人がいないせいか、空気感が違う。
あー自由だな、と青空を見てほくそ笑む。
純粋休日が待ち遠しい。
即興演奏、即興演劇、即興舞踊、即詠、即興で絵画を描く…世の中にはいろんな即興がある。
田町に『蟻鱒鳶ル(ありますとびる)』というビルがあるらしい。
ビルのオーナーは建築家で即興舞踊も嗜む方らしい。
設計士と建築があまりにも離れていることへの疑念から『即興建築』というのを構想したという。
設計も建築も自分。
その時々の思いつき(即興)を大事にしながら家を建てていく。完成はまだまだらしい。住みながら作り続ける。
建築と即興が結びつくとは思わなかった。
完成図に向けて決められた工期内にガーッと作っていくのが現代の効率的で商業的なものづくりたとしたら、それとは違う時間軸の中でああしよう、こうしてみよう、とその時々の思いや閃きで作っていくのもまた生物的でいい。
今年もラ・フォル・ジュルネに友人と行ってきた。
毎年ゴールデンウィークのこの時期に東京フォーラムで開催される音楽の祭典だ。
有料のステージや無料のステージや屋台やタワレコやらいろいろある。
有料のステージを3つ、中世の音楽と武満徹とメンデルスゾーンなどを聴いてきた。
どれもとても刺激的だった。
中世の音楽は無印良品で流れているアンビエント系のようだった。武満はピアノソロでこれまたアンビエントなにおいがした。
メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトにはビックリした。これまで幾度かホールで聴いたことがあるが、今回のメンコンは指揮者がソリストなのである。弾き振り。オーケストラの一体感が半端なかった。座席が運良く二列目だったのでその様子が尚更見えやすかった。
さて、地下の会場へ行くエスカレーターがある。
地下から上りエスカレーターに乗っていたら反対側の下りエスカレーターに見覚えのある人が乗っていた。
「あ、金平さんだ!」
ついじっと見つめてしまった。
金平さんも不思議そうな顔でこっちを見ていた。
武満を聴く会場に行くと、まだ開場前だったのでそのあたりにある椅子に座って待っている人もいた。ふと見ると金平さんが椅子に座ってパソコンに向かっていた。報道特集見てますよ!金平さんの取材やコメント、毎回楽しみです…とか心の中でさんざん呟きながらも声をかけられず何となく遠目に眺めていた。今日は金曜だからきっと明日の報道特集の準備をしているのだろう。
全てのステージを聴き終わってから友人とまったりと食事。
「おたがいヨレヨレになっても毎年来ようね」と言い合った。
「平和だからこんなふうに音楽も聴いていられるんだね」
確かにそうだね。
今年も楽しいラ・フォル・ジュルネだったな。
平行遺伝。
へいこういでん。
先祖代々の血の繋がり(縦方向の繋がり)は「垂直遺伝」。それに対して血縁ではない横のつながりを「平行遺伝」または「水平遺伝」と言うそうだ。
同じ時代に生きていたり、本人とは直接あったことはなくともその人の本を読んだり音楽を聴いたら絵を見たり何かしらの間接的つながり(横のつながり)でも遺伝子の引き継ぎが行われるらしい。
自分のことを考えてみよう。
年に二回開く演奏会ではわたしのピアノを聴いてくれている誰かに知らぬ間にわたしの遺伝子が引き継がれていたり、ピコちゃん(セキセイインコ)と熱心に語り合ううちに知らぬ間にわたしの遺伝子がピコちゃんに引き継がれている。(いや、もしかしたらピコちゃんの遺伝子をわたしが引き継いでいるのかもしれない)
仕事で青少年に接しているが、彼らの中のうっかりさんがわたしの遺伝子をうっかり引き継がれているのかもしれない。
今日までうかうかと生きてきてしまったわたしには垂直遺伝の可能性はまずない。墓参りをするたびに「幾多の困難を乗り越えてみんなここまで必死に命をつないで来たのに繋げなくて誠に申し訳ない」と思っていた。
平行遺伝はそんなわたしに朗報である。
よし、これからも平行遺伝がんばるぞ!
…ってこんなんでいいのか?
マンモを受けにいく。
市の検診の一環である。
連休はインドアライフを満喫しているので、運動が不足する。そこで検診の病院までテクテク行くことにした。
この方角だろう、とアバウトに見当をつけて歩き始める。途中、登校中の中学生にバラバラとすれ違った。
歩くことほぼ一時間。どうにか到着。
総合受付を済ませたあとマンモの受付をする。
受付用紙には技師さんの性別を選ぶ項目があった。
女性技師だと待ち時間が長い、というので男性技師でもオッケイにしたら瞬く間に順番が来た。
担当男性技師さんがにこやかに自己紹介や説明をする。もーう隅から隅まで爽やかにするぞ、という意気込みが伝わってくる。
セクハラ騒動噴出が止まらぬご時世、特に注意するように言われているのだろう。
こちらも宝塚の男役、とまではいかないがなるべく中性的に爽やかに振る舞おうとするが気づくと不思議系キャラになっていることがある。
マンモで上手く撮影する態勢を作るのは技師と受け手の共同作業である。
「僕の顔の方をしっかり見てください。僕の顔がタイプじゃなければ目を逸らしてもかまいませんので」
おもしろかったのでしばらく笑っていた。
技師さんも笑っていた。
この人はこの自虐ネタを毎回かましているのだろうか、それとも相手を見てのことなのだろうか。まあ面白い分にはいい。
そのあとも態勢作りが続いた。
技師さんは胸を持ち上げたり引っ張ったり。
「マンモって結構重労働ですねぇ」
と言ったら、技師さんは
「いやー本当はそんな風に見せてはいけないんでしょうが」
とはにかんだ。
いや、重労働だよ。
人間の部位は結構重いからね。
マンモの機械のアームのところに「Mermaid」と書いてあった。機械の名前らしい。
こうしてマンモはつつがなく終了。
次は触診。
名前が呼ばれ診察室に入る。
ロマンスグレーの紳士の触診だった。柔らかい声とテンションの低さが印象的だった。連休の狭間の月曜日だからかな、とも思ったがまあウキウキしていても別の意味で却って怪しまれるだろう。なかなか神経を使う職種だ。
裸族の国だったらこんな窮屈なこともなかったのかもしれない。
文明国は何かと大変だ。
渥美二郎の『夢追い酒』がテレビから流れた。
大人しくしていたセキセイインコのピコちゃんがピコピコゴニョゴニョ一緒に歌い出した。
どうやら気に入ったようだ。
1978年のヒット曲。
当時、幼稚園児のわたしはこの曲が大好きだった。今も変わらず好きだ。懐メロ番組で二郎さんが出てくるとときめく。
抑制の効いた、しかも必要な表現がしっかりされていて、その上楽曲の良さも伝わってくる。流しで鍛えたセンスなのだろうか。他の歌手にはない凄みを感じる。歌唱力も変わらずうまいままだ。しかもいつも美肌だ。宇宙人じゃないかと思う。
大病をされてかなり苦労なさった時期があるという。そんなことを感じさせない静かな強さもある。
すごいな、二郎さん。
ピコちゃんにもそんなすごさが伝わったのかもしれない。
テレビを見ていたらひふみんが出ていた。
イタリア歌曲だか何だかを鍵盤の伴奏に合わせてちょろっと歌っていた。
それがなんとも素直な歌い方。
大人になってもあんなに素直に歌えるなんてすごい。素直力!
さすがひふみんだ。
このところ、年度始めの落ち着かなさの中でピアノまでとてもたどり着けずあまり触っていなかった。
ふと歌いたくなった。
『世界叙情歌全集』を取り出しひとりカラオケをする。
自分でピアノ伴奏して好きに歌うのは実に楽しい。ひとりカラオケだ。
あれあれ〜いつもより素直に声が出るぞ!!
歌うこと一時間半。
ひふみんすごい!