Jアラートの訓練放送が流れた。
低い男声で聞きづらい。
とくに左耳の低音部難聴を持っているわたしには。
京王線のホームのアナウンスの女声くらい明瞭な方がいいのになぁ。
あの声を採用した意図はなんなのだろう。
当てにするな、ということなのだろうか。
報酬50億円過少記載したり
週130時間労働で月収9万円だったり
たりたりたり。
昼間の駅。
伸ばす位置によって随分と印象のかわる言葉がある。
「じぃじ 」と 「じじぃ」。
「ばぁば」と「ばばぁ」。
ヨチヨチ歩きの孫がニコニコしながら「ばぁば、ばぁば」と寄ってきたら微笑ましいが、「ばばぁ、ばばぁ」と寄ってきたら複雑なものがあるだろう。
「なんだこのくそじじぃ!」
と言うとカドが立ちそうな時は
「なんだこのくそじぃじ!」
と言うと案外カドが立たないかもしれない。
『ザ・カセットテープ・ミュージック』でオフ・コースをマキタスポーツとスージー鈴木が熱く冷静に語っているのを見ていて無性にオフ・コースが聴きたくなった。
中学の頃、友達からテープをダビングしてもらって聴いていたが、レコードやカセットテープを買うまでには至らなかった。山本達彦とユーミンに散財していたので身銭をそれ以上の余力はなかった。
近所の山野楽器でベスト盤を探した。
物色している最中に「あれっ」と思った。kirinjiとキリンジが置いてあるのだ。これまではいちいち注文していたのに、だ。
「腕を上げたじゃないか、山野楽器府中フォーリス店」とひとりほくそ笑む。
ひとしきりほくそ笑んでから、今度は本屋に行った。
つい先日、ほぼ四半世紀の人生で初めて買ってしまった雑誌がある。
学研から出ている。
編集長はこの人。
三上丈晴さん。学研の社員さんらしい。
「素領域理論」という記事がおもしろかった。
宇宙は複数の泡のような空間である、というようなことが書いてあった。ひとつの空間じゃないんだ。
宇宙をひとつの空間と捉えたくなるのは一神教的なのかな…複数の泡って多神教的だなぁ…とか思ったり…こうして無邪気にワクワクできるものっていいなと思う。真実かもしれないし。
またちょっと健康雑誌のようなノリもある感じがする。今月号には飾るだけで幸福になる奇跡のカレンダーが付録でついていた。
さて、先日ムーを買った科学雑誌のコーナーをなんとなく見に行ったら、平積みのムーだけな他の平積み雑誌より明らかに高さが低いのである。そう、売れているのである。
「まったく府中市民ったら…ムー民」とひとりほくそ笑む。
ちなみに、『ムー公式 実践超日常英会話』という本が出ているらしい。残念ながら書店の英会話関係本コーナーには見当たらなかった。
ネットで見たこの本の表紙にはこんな例文が載っていた。
When you bend spoons, put them back what they were.(スプーン曲げをしたらもとに戻しておけ)
これは覚えやすい!
英語のブラッシュアップをしなくちゃなぁ、と思っていた矢先だったのでここはひとつ注文してみた。
早く入荷の電話が来るといい。
今朝の東京新聞の『筆洗』に「芥川龍之介は一年のうちで11月、12月が最も好きだったそうだ」というようなことが書いてあった。
芥川が自死した二日ぐらい前に芥川に会いに行っていたのが内田百閒だった。
芥川と百閒は漱石の門下の間柄で、芥川は百閒にはどういうわけか親しみを抱いていたらしい。
「君(百閒)の事は僕が一番よく知っている。僕には解るのだ」(内田百閒『亀鳴くや』)
百閒はこの時芥川のところでお金に困った相談をしたらしい。芥川は当時で百円ほどをその場で間に合わせてくれたという。
その日の芥川は麻薬のせいか朦朧としてフラフラだったらしい。
芥川の自殺の要因を百閒が思いを巡らせているくだりがある。
「芥川君が自殺した夏は大変な暑さで、それが何日も続き、息が出来ない様であった。余りに暑いので死んでしまったのだと考え、又それでいいのだと思った。原因や理由がいろいろあっても、それはそれで、矢っ張り非常な暑さであったから、芥川は死んでしまった。」(『亀鳴くや』)
いくらなんでも暑かったから死んじゃったはないだろう、と思っていた。
しかし、芥川が寒い季節が好きだったならありえるかもしれない。
百閒先生、さすがである。
さすがついでにもうひとつ。
百閒のお琴師匠、宮城道雄が列車から落ちてその怪我が元で亡くなった。東海道刈谷駅付近でのことだったらしい。
百閒がその場所を見に行くことがあった。
「一緒に来てくれた駅長とその地点へ行こうと思う。線路際へ降りる前の、石垣の崖の上に農家が一軒ある。そこで飼っている雞(にわとり)の糞を蓆(むしろ)にひろげて日なたで乾かしてある…(中略)…雞の糞がむらした様なにおいを発して辺りが臭い。
宮城が落ちた所はすぐこの下である。そこへ自分の足で行って見ようと思う…(中略)…雞の糞が乾きかけている。乾きかけだから臭い。
駆け降りる様にして線路際へ降りた…(中略)煉瓦の橋脚に一ヶ所、石垣に二ヶ所、宮城の頭髪と血痕がついていたと云う。その隅になった所にたたずみ、一寸その場所は寝て見ようかと云う気がする。しかし石垣の上の雞の糞は臭かった。あれはまだよく乾いていないから臭い。」(内田百閒『東海道刈谷駅』)
お坊さんを連れ立って供養はしたが暑くて臭いから結局早々に引き上げたのだった。
どんなシリアスな状況も暑さと臭さには敵わない百閒先生なのであった。