rumipianoのへっぽこるみ日記。

即興ピアニストrumipiano(岡本留美)のブログです。日々のつれづれ、脳内日記(創作日記)、演奏会情報などを載せています。YouTube公開中(『youtube rumipiano』で検索)。ホームページは「rumipiano ホームページ」で検索するとご覧いただけます。お問い合わせはrumipianosokkyo@gmail.comまで。

ロックだね。

ボヘミアン・ラプソディを観てきた。

最前列しか空いてなかったのでそこで観たのだが大迫力だった。

 

クィーンの音楽がオペラの影響を受けていたり、ブライアン・メイ天文学者だったり…知らないことがたくさんあった。

楽曲もなかなかいいなぁと思った。

上からパアーっと降ってくるようなダイナミックな広がりはどこからくるのだろう。

 

ビールのCMのBGMでクィーンを耳にしたくらいできちんと聴いたことはあまりなかったが、劇中に出てきた曲がほとんど耳にしたことがあるものばかりで「ああ、あれもクィーンか!」「お、これもクィーンだったのか!」という感じだった。

 

極端な生き方をしている人の話は時として魅力的だ。

音楽の才能があって人種的な差別にもあっていてしかもゲイでさらに孤独に振り回され最期はエイズに罹患して…というフレディ・マーキュリー

大変だっただろうなぁ。

実際は映画よりもっと大変だったのかもしれないなぁ。

ロックに生きる、ってあんな感じになるのかな。

生まれ持ったパワーがロックにさせるのかなぁ…

We will rock you…おまえらをロックにしてやるぜ、かぁ…

たまたまかけたチャンネルにインコが映っていた。

なんだ?と思ったら、ヒッチコックの『鳥』だった。

籠の中にちょこんと二人のコザクラインコちゃんがいた。

かわいいなぁ。

おりこうちゃんにしてるなぁ。

 

カラスやカモメなどの鳥たちが人間を襲うストーリーなのだが、どうも鳥さんたちに感情移入してしまう。

大量の鳥が襲って来る場面。

鳥が家の中に入ってこないように人間が窓枠のところで鳥をぎゅうぎゅう押し返している。

「とりさん痛そう!」と咄嗟に思っている自分がいる。

 

映画の中で鳥たちが仲間同士で話し合うようにギャイギャイ鳴いてるのをうちのポポちゃん(コザクラインコ)とピコちゃん(セキセイインコ)が聞きつけてそわそわ慌てて鳴き出した。話の内容がわかったのだろうか。

 

映画のカットや映画の中の調度品の整然とした感じがなんとなく小津映画を彷彿させた。

 

 

 

一月七日。

30年前の一月七日、天皇崩御により昭和が終わった。

それまで毎日のように天皇の容体がマスコミで報じられた。輸血や下血という言葉が頻繁に流れていた。

崩御の途端、テレビに出てくる人がみんな黒い礼服になった。ほとんどの局が追悼番組やクラシック音楽の番組を流していた記憶がある。天皇が亡くなるとこうなるんだ、とびっくりした。

高校2年の冬だった。

ちょう冬期講習の最中で、塾の行き帰りが怖いくらいに街が暗かった。店舗などが照明を自粛したのだろう。

ムーミン強し。

耳鼻科の待合室で経済雑誌に目を通す。

今年トレンドになりそうなものを30個ランキングしている。

今時なイケイケなものがズラリと並ぶ中「ムーミンバレーパーク」がランク入りしている。

 

寒くなるとムーミンを読みたくなる。

ムーミン谷の彗星』『小さなトロールと洪水』『ムーミン谷の十一月』などテンションが低くてぼんやりしている今時分には最高だ。

ウツっとしててもひとりでグズグズしてても気弱でも偏屈でもおかまいなしのムーミンの世界。今のイケイケでカラ元気でブラックなどこかの国とは違うなあ…

初詣はニコライ堂。

友だちと昼前に神保町で待ち合わせて、はちまきで天ぷらをいただく。

それからなんとなく御茶ノ水の見当にそぞろ歩く。

途中でニコライ堂に出くわす。

聖堂の中を見られるのが13:00からだったのでしばらく敷地内をウロウロして待つこと10分。

受付で300円と引き換えに説明のパンフレットとろうそくを一本渡される。

思いがけず初詣がニコライ堂になる。

何もよくわからないけれど落ち着く場所だ。

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そのあとぶらぶら歩いて行くと湯島聖堂に行き当たる。

ニコライ堂を見たあとだったのでなんとなくシュンとしてしまう。

学問が大切にされていたんだなぁと思う。

まあ異端の学問は弾圧されていたのだろうけれど。

神田明神へと歩みを進める。大己貴命少彦名命がいる。

さすがスター神社、拝殿までは長蛇の列。

摂社にちらっと挨拶しておみくじを引いてまたてくてく歩く。

湯島天神に行き当たる。

ここも歩道の参拝客の列が坂の下まで続いている。

みんな必死だ。

湯島天神を横目に過ぎる。

妻恋神社なるものに遭遇。

挨拶しておみくじを引く。

それから春日局のお墓がある禅寺にたどり着く。

佇まいの静かな犬がいた。

ひとりの友達が犬に近づく。

上品に喜ぶ犬。

犬は苦手なんだよな、と思いながらも近づいてみる。

上品に対応する犬。

撫でてみる。

結構毛がこわこわしている。

ふわふわに見えるのになぁ。

撫でながらもどこかでこわい自分の心境を見透かすように犬は優しく離れて行く。

霊格の高そうな犬だ。

それからカフェに入ったり、スペイン料理の店に入ったりして一日が過ぎて行く。

1971年製イノシシ。

東京都の推計による2019年の年男・年女の人口は、110万9000人らしい。

年男は54万2000人、年女は56万6000人。

出生年別では、1971年生まれが最多の22万9000人、続いて1983年生まれが19万2000人、1947年生まれが18万3000人。

 

ちなみにわたしは1971年。

小学校も中学校も高校もとにかく人数が多いだけで先生から怒られたくらいだ。

担任の先生や部活の先生くらいにしか名前なんて覚えられていなかったし、そんなもんだと思っていた。授業中にあてられる時は「じゃあ◯◯番」というように出席番号で呼ばれた。刑務所の受刑者と同じ待遇だ。

大学受験も人数が多い上、浪人もトッピングされていたので塾や予備校に入るのにテストがあった。そしていろんな大人たちにに「君たちは人数が多いんだからよほど勉強しなければ大学なんて入れないぞ」と盛んに脅迫された。

やっとのことで入った大学(奇しくも日本における史上最悪の首相を輩出してしまったとの定評のある)は、少人数教育が売りだったにもかかわらず、入ってみたら英米文学科だけで208人いた。異例の数だったらしい。

そして就職時にはバブル崩壊元年と重なり、企業のセミナーに電話で申し込みをしても電話口で「女子の方は受け付けない」とか「おたくの大学は受け付けない」などと言われたり、セミナーに行っても交通費も出ず、パワハラ面接が横行したりなど相当な扱われぶりであった。

都の高校の教員採用試験を受けたが「補欠に引っかかればなんとかしてあげるから」とある筋の人に言われ補欠に引っかかったものの「異例の事態にぼくもびっくり」と言われて、都教委からも「異例の事態でこちらもびっくり」というお手紙が来た。バブル期の感覚で定員を設定していたのだろう。

そして不思議なことに、社会人になってから属したどの職場でも同い年に出会ったことがないのだ。社会人入試で入った短大にもいなかった。

あんなにたくさんいた1971年製イノシシは一体みんなどこに行っちゃったんだ??異次元か?宇宙か??

 

全国の1971年製イノシシの皆さん、いかがお過ごしでしょうか。