rumipianoのへっぽこるみ日記。

即興ピアニストrumipiano(岡本留美)のブログです。日々のつれづれ、脳内日記(創作日記)、演奏会情報などを載せています。YouTube公開中(『youtube rumipiano』で検索)。ホームページは「rumipiano ホームページ」で検索するとご覧いただけます。お問い合わせはrumipianosokkyo@gmail.comまで。

再び潜り終わる。

潜り酒場の音楽会 vol.2、無事終了。

刃文さん、本田豊さん、素敵な演奏でした!

rumipianoの演奏もどうやら楽しんでいただけたようです。

よかったよかった!

お忙しい中ご来場頂きありがとうございました。

 

今回いらっしゃらなかった方々も次回にお目にかかれたら嬉しいです。

 

配信の音楽に馴染んだ方々の中には生演奏でのさまざまなノイズが気になって生演奏を聴くのに抵抗を感じるということもあるそうですが…生演奏の文化がこれからも続くといいなぁと思います。

今週末は…

今週末は刃文さんプロデュースの『潜り酒場の音楽会 vol.2』で弾きます。

 

小さなスペースで、間近で身体を使った演奏を観たり聴いたりするのは、大きな場所や動画や配信や音楽媒体で聴くのとはまた違った味わいがあるなぁとつくづく思う今日この頃です。

 

もしよかったらお出かけ下さい。

 

『潜り酒場の音楽会 vol.2』

日時:5月27日(土)17:30 開場 18:00開演

出演:刃文 本田豊(vo)タカシさん(ba)rumipiano(pf)

場所:新所沢 ラッド・カンパニー

西武新宿線 新所沢駅西口より徒歩)

チャージ:1ドリンク

 

 

 

 

 

やりたい放題再開!

コロナ禍で中止していました『Rumi &Yukkoのやりたい放題』シリーズを再開する運びとなりました。

今回は会場の都合等により完全予約制を取らせていただいています。

(現時点で予約枠がほぼ埋まってしまいましたので、キャンセルが発生したらまたお知らせいたします。)

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再び潜りの…

刃文さん(松兄い[ドラム]あき坊[ギター]のデュオ)プロデュースの『潜り酒場の音楽会』の第二回目に前回に引き続き出演することになりました。

こじんまりとした会場でアップライトでの演奏です。

タイプの違う音楽を近距離で聴けるのはなかなか面白いんじゃないかなぁと前回出演してみて思いました。

よかったらどうぞお出かけ下さい。

 

日時:5月27日(土)

17:30 open  18:00 start

出演:rumipiano/刃文/本田豊(vo)/タカシさん(ba)

会場:新所沢 ラッド・カンパニー

西武新宿線 新所沢駅西口を出て左→みずほ銀行を右手に見てまっすぐ→ファミリーマート→T字路右折→左に入る路地→ラッド・カンパニー入口

所沢市緑町2-3-19 JUN新所沢 F1  ℡090 2909 0816)

 

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https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid02QanFi5oj1D7PzQkJ476Yq4t7nPXFud4N377cQMGypfEx7U5WtYRXrsJ1LHZ4VQSul&id=100002943237850

 

 

都立高校。

忌野清志郎坂本龍一の共通項に「都立高校出身」を挙げている人がいた。「都立高校」と言っても、まだ自分が生まれる前の学生運動の時代の都立高校だ。

 

自分が都立高校に入学したのは1987年(昭和62年)。学生運動の時代からは随分経った頃だ。

入試の当日、自分の受験会場の教室には20近い空席があった。

主には私立が決まって受験を棄権した人たちの席だ。

当時はバブル全盛期だったこともあり、私立人気となっていた。私立は大学までどこも偏差値が鰻登りで「偏差値バブル」とも言われていた。

このあと、昭和天皇崩御し、バブルも崩壊した。

 

自分が入学した都立高校は制服も校則もない学校だった。今思えば、これも学生運動の頃の遺産を恩恵として受けていただけなのかもしれない。

「クラスは偶然の人の寄せ集めなんだから、一致団結なんて無理なんだよ」と二年次の年度初めのホームルームで担任になった先生が芯のない声でふわふわと言い始めた時にはゾクゾクと鳥肌がだった。

そうそうそういう言葉をそういう言い方で大人から聞きたかったんだよ、と。

これまでの公立の義務教育にうんざりしてきた耳には福音のように響き救われたような気分になったことを今でも覚えている(こういう先生を増やして行かなければなぁと思って都立高校の教員を目指してみたが、バブル崩壊の影響も重なりすんでのところで手が届かず…笑)。

医者にも自分にも手に負えないほどの精神不安定期だったが、月に数日程度のお休みをとりながらも学校の雰囲気のおかげで安心して通えた(そんなギリギリの状態で部活も受験勉強もよく出来ていたなぁ…)。その休みはやがて一部のクラスメイトにより「お疲れ休み」と命名され、周りでもお疲れ休みを取ることがちょっとしたブームとなった。そんなふうに何かと適度な距離感で良くも悪くもいい加減な雰囲気が本当に心地のいい場所だった。みんなでガッツリまとまってサイコー!って感じで義務教育を過ごしてきた人たちには不評のようだったけれど、自分にとっては幼稚園から大学までの中でダントツの居心地だった。

そんな母校も、今や「標準服」という名の制服を着た生徒も多く見かけるようになってきた。校則もできたのかな…

 

先代の卒業生や教員たちがいろいろと経た後に獲得されたあの「緩さ」だったのだろうとあの頃には思い至らなかった。

空気のように当たり前にあり続けると思った「緩さ」に対する甘い認識に今更ながらに気付かされる。

知性や寛容、多様性やそんなものに基づいた緩さだったのかな。

そんな「緩さ」が時代遅れにされる日が来るとはな…

「緩さ」が苦手な人って意外に多いのかもしれないな。

緩さは時としてまわりくどさやもどかしさやちょっとした行儀良さ(忍耐)を伴うものだから、限られた寿命のある生物には不向きなのかもしれない。

でもなぁ…

なんだかなぁ…

ねぇ…

誕生日に。

この世に生まれてきたのは五十二年前の昨日のこと。

残念ながらその時のことは何にも覚えていない。

本当に残念だ。

二キロちょいのほやほやした心許ない姿でこの世に現れ、まだ目もよく見えないままに手足をぶらぶらさせて涎を垂らして仰向けになっていたのだろう。

ひとりでは何にもできない。

今後の誕生日はそんな姿を思い起こして謙虚になる日にしよう。

 

『52年前のわたしのためのこもりうた』

https://youtu.be/AoBCBmiBgX0