体育。
たいく、じゃないよ、たいいく。
雰囲気。
ふいんき、じゃないよ、ふんいき。
体育の思い出。
体育を無邪気にやっていたのは第二次性徴期でカラダがぽよんぽよんしてくる前までであった。
それまでは短距離走や三重跳びなど喜んでやっていた。力ずくでやっていた。力ずくでやればなんでもできるとどこかで刷り込まれていた。肩を怒らせて走ったりズドンズドン凄まじい音をさせて跳んだりしていた。
力ずくといえば家庭科のミシンがけ。パジャマを縫うのに学校のミシンの針を10本折った。布を前方に進めるのに力ずくで押し込んでいたからだ。針供養に行かねばならないレベルだったろう。
字も力ずくで書いていた。
消しゴムで消しても跡が残る。
消しゴムで消すのも力ずく。
プリントやノートをしばしば負傷させていた。
消しゴムも切断の憂き目にあっていた。
書道の半紙にも穿孔が絶えなかった。
給食の塩味のきいたリンゴをフォークに指して食べようとすると飛距離が出た。
体育の話に戻る。
水泳も力ずく。蹴伸び(「毛伸び」だと今の今まで思っていた。落ち武者が水中をスーッと泳ぐときに毛がスーッと伸びるのが名前の由来だと本気で思っていた。なんだちがうのか)をしてもクロールをしても平泳ぎをしても背泳ぎをしてもすぐ沈没する。バタ足でも座礁する。
中学に入りぽよんぽよんエイジに突入してから体育嫌いが加速する。
体育に関するものはみんな嫌いになる。
体育会系部員、体育教諭、ジャージ、スニーカー、白い靴下、ナップザック、スポーツ用品店、スポーツ用品店の店員、スポーツっぽい奴、スポーツ刈り、体育会系な奴、体育祭、体育の日、オリンピック、合唱、吹奏楽…
体育が妙にエラそうなことに気づいたのもちょうどその頃だ。
体育の得意なヤツが持て囃されたり、体育の教員が不必要に権威を振りまいていたり、どうも穏やかじゃねぇなと思い始める。
けれどもこの感覚を共有することなく体とともに膨らんできた胸の内にギュッと収めていた。
高校生になり軽音部に入る。
「音楽やるヤツが体育なんか爽やかにやってんじゃねぇよ」という反体育的価値観に出会う。
そうだろそうだろ。何喜び勇んで体育なんかやってんだこのやろう、ダハハハハ。
体育嫌いが板に付いてくる。
徒手体操、なんやそれ。
球技大会、なんやそれ。
「突き指したらピアノ弾けないし」とか言って一切ボールに触れない。「ちゃんとやってよんもう!なんなのよ!」と体育委員は涙ながらに激怒。ああヤダね体育な奴は、と舌打ち一つ。
もうそんな頃から三十年ほどが経つ。
さすがにもう力ずくの年でもなくなる。
ピアノと向き合う中で、力の抜き方は何となくわかってきた。必要最低限な力で響かせるようにすればいいらしい、何事も。
今ならチェリオのビンをボォっと綺麗に響かせられるかもしれない。
まだあるのかな、チェリオ。
体育は…岡崎体育は面白いかもな。
身体を動かしたり身体を知るのは少しずつ興味が出てきたけどやっぱり「体育な感じ」はちょいとなぁ…