Eテレで、ピリオド楽器の奏者の川口成彦さんがショパンのエチュード(『別れの曲』)をショパンの時代のピアノ(プレイエル)で弾いているのを聴いた。
ああ、こういう曲だったのか…としみじみ感じた。
温かみと哀愁のある自然な音がした。調律が現代のピアノより低めだということも影響しているのだろう。
川口さんが現代ピアノとピリオド楽器の違いを水に例えていた。
現代ピアノは純度100%の感じ。
ピリオド楽器は水に葉っぱなどが混ざっている感じ。
当時の作曲家が現代ピアノを弾いたらどう感じるだろうか。
音が高い?
音が大きい?
音の強弱の幅が広い?
鍵盤が重い?
楽器には時代の音が反映されてる。
音楽が産業に取り込まれ、大きなコンサートホールで演奏するに耐えるようピアノの音も躯体も大きくなった。
ピアノを弾くというのがアクロバティックなスポーツのようになっていく。
表現もダイナミックになっていく。
以前カワイの表参道のショールームで、コンサートグランドを弾かせてもらったことがあった。弦の長い大きなピアノだった。
そのピアノで即興を弾いてみると、何だか変だった。
自分の即興には大きなピアノは合わないのかもなと思った。これは面白い発見だった。
短大でクラシックを勉強していた頃は即興の表現も大きくしがちだったように思う。
このところは自然な音量で自然な大きさでの表現が好きになってきた。
「手のひらに豆腐を乗せて切るように演奏してよ」と細野晴臣さんがバンドのメンバーに言うらしい。
うん、その感じなんだろうな。