もう二十年、いやそれ以上になるだろうか。
出会ったわけでも知り合ったわけでもないけれど、いるのが当たり前だったあのひと。
家のベランダの向かいにあるワンルームのアパートに住んでいた。
ちょうどうちのベランダと同じ高さの部屋に。
パッとベランダに出た時にあのひとが窓から身を乗り出してタバコを吸っているとなんとなくそそくさと室内に戻ったりしていた。またその反対にあのひとの方がそそくさと窓を閉めることもあった。
どうも部屋にいることが多かったようだ。
「あのひと、何者なんだろうねぇ」と隣に住むおばちゃんにとっても常に気になる存在だったようだ。「聞きに行ってみようか?」などという話も何回か出たりしていた。
晴れた日はもとより、雨の日も頭にタオルをのせて、冬の寒い日にも窓から身を出しタバコを吸っていた。
夜中に電気のついていることが多かった。
スポーツ新聞の官能小説とか書いて生計を立てているのだと勝手に想像したりしていた。
「何だか良さそうな人だよね」と隣のおばちゃんがある時から言い出した。毎日のようになんとなく見ているうちにそんな気がしてきたのだろう。言われてみればそう見える。
「あのひとも年取ってきたよね」なんて余計なことも言っていた。自分達も年取ってるにも関わらず。
それだけの年月が経っていた。
そんなあのひとの部屋の様子が俄に変わった。
ぼやけたガラスの向こうがなんだかガランとしていたのだ。
空き部屋の風情になっていた。
どうやら部屋を引き払ったらしい。
いつもいたのにいなくなるとさみしい。
顔見知りでもなんでもないけれど。
「あのひと、どうしたんだろうねぇ」
「田舎にでも帰ったのかな」
「なんかで一儲けしてタワマンにでも引っ越したのかな」
またどこかで元気でいてください。