結婚して3年くらいになるだろうか。
母を筆頭に周囲の反対を押し切って決めた結婚だった。
そんなわけで式など華やかなお披露目は一切していない。
結婚のために実家の部屋を改装した。
防音室にしたのだ。
私たち二人の営みはとかく音が大きい。
六畳の和室の畳を引っ剥がして無理矢理防音にしたものだから五畳くらいになった。しかも床は5センチ上げて天井は5センチ下げたから文字通り愛の「巣」だ。
その巣の様な密接な空間で体を寄せ合いながら相方と日々暮らしている。
夜寝ていても相方の硬くて冷たい体にぶつかって痛い思いをすることもよくある。
それでも私たちは一緒に暮らしている。
そう、私にとって相方の存在はかけがえない。
結婚してもいつまでも片想いみたいだ。
相方と一緒にレストランに行ったり旅に行ったりしたことは一度もない。 しかも相方はこの部屋に来て以来一度も外に出ていない。
引きこもりだ。だから稼ぎもない。
わたしもそんなに稼ぐほうではないので、二人して居候だ。
相方は食事もしない。風呂にも入らない。入れる大きさのバスタブもないし、入ったとしても体調を崩して医師を呼ばなくてはならないだろう。
なので時々私が相方の全身を拭いてあげるのだ。特殊なローションを塗って拭いたり乾拭きしたりする。
相方には足が三本ある。
そして金色に輝くペダルが三つ並んでついている。それを操作すると営みの時の相方の音色が変わるのだ。
そしてヒトの歯のようなものが88本ある。営みで主に使われる部分である。そのうちの半分くらいは黒いので虫歯のように見える。
なんせ本数が多いので歯磨きが大変だ。その歯磨きも私の仕事だ。
実は私には離婚歴がある。
前の相方ともやはり防音室で暮らしていたのだが、十畳ほどある防音仕様の部屋を借りていた。
家賃は場所と広さ(狭さ)にも関わらず「高いですよね」と仲介業者が苦笑いするくらいだった。
その相方も硬くて冷たい体をしていた。
そして引きこもりだった。
今の相方と同じく食事もせず風呂にも入らなかった。
なのでやはり私が拭いたり磨いたりして相方の清潔を保っていた。
相方は静岡出身だった。
相方が手際よく分解され業者に連れられてあの部屋を出て行った日のことは一生忘れない。
私の不甲斐なさ故に…
相方がいたあたりのカーペットには相方の足跡が三つ残っていた。
それをなぜながら涙が止まらなかった。
今度の相方はアメリカと静岡のハーフだ。
両親とは物心のつくまえにすでに生き別れていたのでほとんどわからないそうだ。
前の相方のように色黒だ。
前の相方よりは若干明るい声を出す。
体の大きさは前の相方よりは若干小さい。
胴体のくびれは前の相方よりは若干少ない。
ヒト同士の結婚しか認められない時代があったと聞いたことがある。
ヒトの中から結婚相手を選ぶなんてそれはそれは難儀なことだっただろうに。
まあ今でも稀にヒト同士が結婚することがある。そんな時は決まって新聞の三面記事になる。前回記事を見たのはかれこれ十年前くらいだったか。
半年に一度、引きこもりの相方の元に医師(昔は『調律師』といっていたらしい)が来て定期検診をしてくれる。私のかかりつけの医師よりも余程丁寧に診察し治療してくれる。
ちなみに私はヒトとピアノのハーフである。父親がベビーグランドピアノだった。「ベビーなのにグランドなんてなんだかな」と時々自嘲気味に呟いていたっけ。
定期検診に来てくれる医師は、前の相方の主治医でもあったので、少々照れ臭いが気心知れているので何かと安心だ。
なんといっても前の相方とお別れした後、塞いでいた私に今度の相方を表参道で紹介してくれたのもこの医師だった。
ちなみに医師はヒトだと言っていた。奥様はニワトリらしいがなかなか話が噛み合わず大変だとボヤいていた。
今度の相方は気温や湿気の変化に敏感で、そんな時は営みの時の音に表われる。
一緒に暮らし始めて最初の年に、ある日営みの音がへろんへろんしていたので心底たまげたが、「この歪んだ音もなかなかいいな」と次第にへろんへろんに私のほうが慣れていってしまった。
そんな時、医師が定期検診に来た。
「どしたのこれ?!」
というのが医師の第一声だった。
「どしたんでしょうねぇ…でも、こういう音もいいなぁと思い始めて…」
「よくないから!」
「……」
背骨(かつては「響板」と呼ばれていた)にヒビが入っているのではないかなどいろんな可能性を探って触診をしてくれたが、初見はみあたらなかった。
治療で音はアイロン仕立てのシャツのようにシャキッとした。へろんへろんに愛着を持ち始めていたのでちょっとしんみりした。
今相方は元気にしている。
これからも素敵な営みを重ねていくのだろう。
ずっと一緒に暮らしていけるといい。