養老孟司さんが、「世の中に自分がいることに違和感がない人たちが政治家になるんじゃないか。ぼくなんかは隅っこにいさしてもらいますって感じで…」というようなことを話していた。
びっくりした。
養老さんもそんなことを思っていることに。
そして「違和感のない人たち」が存在することに。
違和感は自分にとっては日常茶飯事だ。
大概はしっくりこない。
ああ、なんでこんなに…と思う。
アウェイの連続だ。
違和感を自覚するようになったのは小学校高学年の頃からだろうか。
自分が日本の小学生であること、中学生であること、高校生であること、大学生であること、社会人であること…世の中の「あたりまえ」にどうにも馴染めないのであった。
結婚、出産…こんな違和感だらけの中でそんなことまで引き受けたら大変なことになると思ったのである。
アウェイな世界の片隅でなんとかやっていくためには、自分の内側を親和感のあるもので満たしていくしかない。
これまでの人生、たくさんの孤独とつかの間の自由を伴うこの作業に終始してきたのだろう。
この先、自分がどんなものに親和性を見出していくのだろうか。
親和性の目安はどうやら自分の内面(魂)が澱まないこと、手垢がつかないことのようだ。
…って、一体何を言ってるんだろう、と我ながら思う。けれどもそうだから仕方ないじゃんと同時に思う。
こうして明日も人生を歩いていく。
アウェイ上等。