私にはどうも怖いものがある。
ヒトの口だ。
これがどうにも怖いのである。
開いた時に歯や舌の奥に見えるあの暗いうろ。
もう考えただけで鳥肌が立つ。
ヒトと対面で話さざるを得ない時がある。
鏡で自分の開いた口を見るのもダメだ。
歯磨きの時は鏡を見ないようにしている。
閉じている口もあまり得意ではないが多少は慣れてきた。
けれども見ないで済むに越したことはない。
実は自分と同年代には多い現象なのだ。
歯科医を目指す人も少ない。
歯科衛生士も然り。
何故なのだろう?
「乳幼児期の原体験によるものではないか」とどこかの大学の児童心理学の教授が言っていた。
すると同じ世代の共通の原体験がその現象の端緒となっているのかもしれない。
思い当たる節がある。
私たちの世代が生まれた頃はコロリウイルスの世界的流行のまっ最中であった。
治療法もワクチンも確立していない中で感染者はどんどん増えていった。死者も世界中で非常な数となったらしい。
しかも政府など世の中のいい加減なところが全て露呈し人心は大いに乱れたと聞いている。
そんな頃、老若男女が着用していたのが使い捨てマスクであった。
世界中の海で使い捨てられたマスクによる海洋汚染も引き起こされたほどだった。
WHOも「とにかく予防はマスク着用」の一点張りだったという。
世界中で粗悪なマスクが法外な値段で売られていた。
更に日本では「アイノマスク」が全世帯に配布された。
これがまた到底使える代物ではなく物議を醸したそうだ。
そう、わたしたちが生まれて目が見え始めた頃、誰も彼もがマスクをしていた。
人の顔といえば眉毛と目だった。たまに鼻が見えている人もいた。
パンデミックが収束して人々がマスクを外し始めたのは物心のついた頃だった。
世間にいきなり口が増えた。
赤い唇にふちどられた口。
口紅を塗った口が笑った時に歯が見えたり、その奥のうろが見えた日には鳥肌がたった。
「何て気味が悪いんだ」
同じ年頃の子どもたちはほとんどそう思っていた。
マスクを手放そうとしなかった子どもも多くいた。
「お願いだからマスクつけて」
と泣きながらマスクをしていない周りの大人に頼む子どももいたほどだ。
わたしもそんな子どもだった。
そんな訳で、未だに口が苦手なのである。