本が好きだ。
CDも好き。
レコードも好きだった。
ピアノも好き。
インコも好き。
これまでの人生、だいたいこのようなものと一緒に過ごすことが多かったように思う。
本にはデータが入っている。わたしが読むことでわたしの中にデータが蓄積される。
CDやレコードにもデータが入っている。再現装置でデータをわたしが聴いてわたしの中にデータが蓄積される。
ピアノはデータ(楽譜)を見て再現する装置だ。データをわたしが弾いたり聴いたりしてわたしの中にデータが蓄積される。
また自分の頭にあるデータを再現、或いは再構築する装置でもある。再構築されたものを聞いてまたそれがわたしの中に蓄積される。
インコは「インコ」というデータを見せてくれたり学ばせてくれたりするいきものだ。わたしがインコと接したり遊んだりしてわたしの中にデータが蓄積される。
この先、どんどんデータは形を持たなくなりそうだ。
手触りも何もなく、ただデータだけがある世界。その膨大な形のないデータを受け取るにはヒトは脳だけあればよくなる。
データと接するときはやはり手触りがあるほうが断然わたしはいいな。
それも出来るだけ濃い手触りがいいな。