7月29日金曜日。
ほぼ3年振りのステージ。
そしてライブハウスという場所での初めてのステージ。
ライブ日程が決まった頃には、コロナ感染がここまで大爆発という状況下で当日を迎えることになるとは思っていなかった。
この日は都知事がひさびさに会見するなどますます状況が悪くなるムードに包まれた。
16:30 mandala-2到着。
入口でマネージャーの中野さんが手書きのプレートを出してくれているところだった。
「お客さんほとんど来そうにないですぅ…」と声をかけたら「あなたのせいじゃないから」となぐさめてくれた。
会場に入るとスタッフさんが「おはようございます」と声をかけてくれた。
マネージャーさん、音響さん、照明さん、調理さんがオープンの時間までに丁寧に準備をしてくれる。
ピアノを手慣らしした後、音響さんがピアノのチューニングをしてくれたのはありがたかった。何でも出来ちゃう音響の藤井さん、すごい。
ステージのセッティングが次第に仕上がってきた。
古いピアノも艶やかに光っていた。
友人が届けてくれた花束がピアノの側に置かれた。
そんな様子を眺めながら「コロナがなければもっとお客さんも来やすかっただろうに…」としみじみした。
本番までの頭の中が音楽のことが9割、それ以外のことは1割で済んでいた頃の平和さが懐かしかった。
今回はそれ以外のことが8割近かった。
開催自体の是非に悩んだが「現状では公演を中止することは考えていません。岡本さんに不都合があれば遠慮なくおっしゃって下さい」とのマネージャーさんの行き届いた言葉の中に答えを見つけたような気がした。
そう、「公演」なのだと。
これまでの歴史の中でのパンデミック下でも場所を提供する誰かと、演奏をする誰かと、聴きに来る誰かがいたから生演奏というスタイルが廃ることなく続いてきたのかもしれない。その延長線上に自分がいるのかもしれない、と。単なる思い込みかもしれないけれど。
これまでライブハウスは風評被害などで本当に大変な思いをしてきた。「もうコロナの2年目はさすがにダメかと思ったよ」とマネージャーさんも言っていた。でも一度店を畳んだら再開するのはもう無理だ。そこで終わってしまう。
いろいろ考え経験した上でのライブハウス側の判断だと感じた。ここはひとつこの判断に従ってみようと覚悟した。
来場を予定してくれていた人たちからキャンセルの連絡が続々と入った。それはそうだろう。命懸けでライブに来るなんて。自分が反対の立場だったらやはり躊躇する。
自宅は車も乗らないのに比較的大きな三つの街道に挟まれたところにある。
この感染爆発下で緊急車両の音が昼夜を問わず聴こえてくる。
これまでもコロナ感染が拡大する度にサイレンの聴こえる頻度が上がったが、今回はこれまでの比ではないほどに夥しくなっている。
そんな生々しい音を聞きながら当日まで不安な日々を過ごしていた。
オープンの時間が近づく。
会場のセッティングもほぼ完了。
観客は花束さんとスタッフさんとテーブルさんと椅子さんと天井さんと壁さんと…かな。
18:30 開場。
開場すれども誰も姿を現さなかった。
そりゃそうだよね。
どんなピアノを弾くことになるかな。
「気楽に弾いてね」と中野さん。
開演は1時間後。
しばらくすると人声がした。
最初のお客さんが二人現れた。
光が差したようだった。
19:30 開演。
客席には10人ほど。
こんな時に足を運んで下さってありがたいやら申し訳ないやら…
mandala-2の緩く寛く濃厚な空気のなかで自我が抜けたように弾き始める。
いつもなら初めは手が震えるのにどういうわけか今回は震えもやって来ない。
観客を意識しながらもどこか深いところに降りていきやすい、不思議なステージだった。
感染対策でマスクをしながら演奏させてもらった。
鼻と口でも音を聴いていたんだなぁ、とマスクで覆ってみて気づいた。
終演後の中野さんとの音楽の話も自然な流れがなんとも心地よかった。
来てくださった皆さんの無事を心から祈りたい。
そしてライブのことを気に留めていてくださった皆さんにも感謝。
mandala-2の皆さんにも感謝感謝。