BS朝日でヒロシの『迷宮グルメ』を見終わってからチャンネルをちゃかちゃか変えていた。
放送大学で丸い眼鏡をかけた紳士が話しているのをチラッと見かけた。
ん?
と思ったら画面に英語が映った。
解説している声に明らかに聞き覚えがあった。
英語でアメリカ大統領のスピーチを読む科目だった。
そして再び紳士が出てきた。
わあ!
そう、大学でお世話になった宮本陽一郎先生だった!!
随分ダンディになられて素敵だった。
文学作品を解釈するには音楽、美術、映画、思想、世相などその作品が生まれた時代の背景の中で作品を位置付けていく、という先生のスタイルは本当に刺激的だった。
とにかく毎回面白くて仕方なかった。
今でも先生のアメリカ文学史の講義のレジュメや、英語の授業のレジュメやノートは取ってある。
三年次からのゼミも運良く宮本先生のゼミに入ることができた。
5、6限にゼミがあったのだが、もちろん時間内には終わらない。
「ゼミ何限にあるの?」と聞かれると宮本ゼミの学生たちは「極限だよ」と答えていた。
そこまで学生に付き合って下さった。
あの頃は照れくさいのと知識のなさで先生の研究室に呼ばれてもなかなかまともに話ができなかった。もったいなかったなぁ…もっともっと先生から吸収したかったな。
先生はいつも全力だった。
提出したレポートに対してとても真摯に向き合ってコメントをつけて返して下さった。高熱を出しながらも学生のレポートを読んでいたこともあった。「先生、いい加減休んでくださいよ」とみんなで頼んだこともあったくらいだ。
大学四年で卒論を書く時にも随分とお世話になった。
「論文をコピーして持っていてもいいですか」とおっしゃられた時には最高に嬉しかった。
「大学に辞表を出しました」とおっしゃられたのもその頃だった。
先生がいるなら大学院に行ってもいいな、と思っていたのでちょっと残念だった。
ちょうどその頃、大学では改革を進めていたらしく、先生もその委員会にいらしたのではなかったかと思う。
キャンパスをどんな風にしていくかなど未来構想を話し合う過程で先生のアイディアが頭の固い教授たちに突っぱねられた、ということではなかったかと思う。
あまり細かいことは覚えていないが「先生のアイディアのほうがどう考えてもいいのにね」とみんな思ったことは覚えている。キャンパスに川を流す、とかじゃなかったなぁ…
その時も「君たちの指導は最後までしますので心配しなくていいですよ」とおっしゃられていた。
自分の柄とはあまり合わない大学に行ってしまい戸惑いを感じることも多かったが、宮本先生にお会いできたことは今でも大切な宝物になっている。
アメリカを、そして日本におけるアメリカの影響、さらに日本を冷静に見つめる視点をご自身の経験から目指していらっしゃるようだ。
久々にまた先生から何か吸収させていただこうと思う。