音楽の授業に物足りなさと音楽の先生の音楽的デリカシーのなさに心を痛めていた小学校、中学校時代。
メロディーが何調であれ伴奏がハ長調の「ドミソ」だったN先生。
メロディーがどう動こうと伴奏がその調の「ドミソ」(しかもペダル踏みっぱなし)だったY先生。
歌のテストでピアノ伴奏をクラスの人数分(48回だったと思う)をわたしに弾かせたF先生(でもこの先生はどういうわけか好きだった)。
…などなど。
そんな失意の中で入学した都立高で出会った音楽のK先生はまるで違っていた。
音楽の匂い、芸術家の匂いがした。
別に近くでくんくん嗅いだわけではないが。
ある音楽の授業で音楽鑑賞をした。
なんの曲だったかは覚えていないが、もうすぐ授業終了のチャイムが鳴りそうだったので先生は音楽を途中で切った。このこと自体はこれまでも珍しいことではなかった。
しかし、その切り方が全く違っていた。
K先生はさりげなくボリュームを絞ってフェイドアウトさせたのだ。
これまでの先生はバキッと平気で音を切っていた。だから聴いている方もいきなり耳を塞がれたような気がしてドキッとしてしまうのだ。
K先生はすーっと音を消した。
ものすごく感動した。
音を大切にするとはこういうことなのだ、と。
それからわたしもコンポで音楽を聴いていて途中で切るときはフェイドアウトさせている。
歌の伴奏でもK先生のピアノの音はこれまでの音楽の先生の音とは明らかに違っていた。
響きやフレーズが美しいのだ。
歌わずに聴いていたいくらいだった。
先生は他にも、海外のジャズフェスの映像を見せてくれたり、シェーンベルクの『浄夜』のさわりを聴かせてくれたり、実技のテストでは自由に演奏させてくれたり、作曲させてくれたりと本当に刺激的な授業をしてくれた。
「ナンセンスよね〜」というのが口癖だった。
先生がお知り合いの方と演奏会をなさるというので伺ったことがあった。会場がどこだったか…
その姿は本気で音楽と対峙する演奏家だった。
K先生から受けた影響は計り知れない。