H Huntさんの『playing piano for dad』。
タワレコのフリーペーパー、INTOXICATEで紹介されていて気になって手に入れたCDだ。
今も流れている。
揺らぎが自然で、流れたり留まったり…まるで微風のよう。
即興している最中は「ダイナミックさを入れてみよう」とか「転調していろんなところ(調)に行ってみよう」「無調にしてみよう」「ロマンティックなメロディを入れてみよう」「面白い和音にしてみよう」などいろいろな思惑が去来する。
そんな思惑たちが増殖しすぎると音楽的直感が鈍ったりする。そしていつしか自分で自分の首を絞めているような状態に陥ったりする。
思惑が邪念と化すのだろうか。
このCDには素直な音がそのまんま入っていた。
そう、本当はこうしたかったんだけどどういうわけかやっちゃいけないと勝手に思い込んでいた。
そう、素直に出てくる音を弾けばいいんだ。
自然な呼吸で。
…そんなことをこのCDがそっと教えてくれた気がする。
おかげで少し気が楽になった。
素直な音を出せば聴いている人たちにも自然に共鳴するのかもしれない。
人間の心臓はある程度一定リズムで動いているのだろうが、意識の流れはそれぞれのひとがもつそれぞれの揺らぎの中にある。
呼吸はそんな揺らぎに合わせてテンポや強弱などの変化を繰り返しているのだろう。
音楽を演奏する者は、音楽が聴き手の呼吸を操作してしまうことを意識しておかなければいけない…というようなことが『龍一語彙』の中に書いてあったな。
楽譜を見ながらパラパラと音を拾うのは、楽しい読書をしているようで好きなのだが、その楽譜の音楽を人前できちんと弾くと苦しくなるので不得手なのである。
自分で予めアレンジをした曲をそのまま本番で弾くのでさえも実はあまり得意ではない。
多分それは本番での自分の中の揺らぎのテンポやリズムでは弾けないからなのかもしれない。
曲の持つ、或いは要求するテンポやリズムや曲調に合うように自分の中の揺らぎを強制しながら弾かなければならない。窮屈で窒息しそうになるのだ。
これからは自分の揺らぎに大いに素直になってみようかな。