数年来のコロナ禍という危機は私たちの中にも変化をもたらしている。
恒常的な危機のもとで躁的な振る舞いをするヒトと鬱的な振る舞いをするヒト。
目の前の危機の取り込み方の違いが行動の違いに出るのかもしれない。
危機を見て見ぬ振りをするヒト、危機を前に強がるヒト、危機を噛み締め注意深くなるヒト、危機を見つめ過ぎて粗暴になるヒト、危機を怖がり過ぎて強迫的になるヒト…
コロナは単純に怖いなと思う。
自分が生物であることを突きつけられたからだ。生命の危機、ということを。
ヒトは言葉があるが故に現前しないものもイメージとして作り出すことができてしまう。
その力により素晴らしいものも出来れば、醜悪なことも出来る。
今はそんな両者の生々しさが露呈し続けている。
そのような日々の中で情報も錯綜している、感性も錯綜している、判断力も錯綜している。
結局最後は自分の直感に従うしかなくなる。
たとえそれがどんなに心許ない直感であっても。
自分の外側には多くのヒントはあるかもしれないが答えは自分の中からしか見つからない。その答えはそれこそ心許ない直感から導き出されたものに過ぎない。
そして自分というものに直面する。
ああ、自分はこういう時にはこういう動きをするのだなと。
それが自分以上でも以下でもない、自分の素の姿なのだろう。
そんな姿を携えてこれからも歩いていくのだろう。
どの方向にどんな風に進んで行くのだろう。
どんな世の中を歩くことになるのだろう。
とりあえず毎日しっかり寝てしっかり食べていこう。