ピアノの調律について坂本龍一の『龍一語彙』の中にこうある。
「…音程というのは人間が勝手に決めただけで、自然にとってはなにも狂っていない。むしろ自然な音とも言えるので、ぼくとしてはピアノに自然な音を出させてあげたいという気持ちになってきた。」
自宅にあるうちの一台については調律をしないままにしてあるそうだ。
これを読んで思い出したことがある。
高校生くらいの時だっただろうか。
定期的に調律さんが来て調律してくれた。
実は調律したてのピアノの音がどうも好きではなかったのだ。
張り詰めすぎというか余裕がないというか、何だか窮屈で色気がなくなるのだ。
せっかくいい感じになってた音がピンとアイロンをかけられたようにお行儀のいい音になってしまうのだ。
こんな感覚を自分が持っていたことをとんと忘れていた。
特に音楽系の短大に入ってからはしっかり調律した音が好きになっていった。
ピアノの音についてあーだこーだ生意気になっていった。
今のピアノは半年に一度調律が入っていた。
特にピアノが新しいうちはピアノが環境に慣れるまで安定しないので何かと狂いやすい。
けれどもこのところタイミングが合わず、前回の調律から半年以上が経っている。
緩んだ状態ではあるのだろうがこれはこれでとろんとしたいい音だなぁと思っている。
特に乾燥してくる季節には自然といい音を出してくれる。
調律の良し悪しによってピアノの音も弾き具合も大きく変わる。
その一方で、調律から日が経つにつれて自然経過で馴染んだ革靴のように何とも言えない音が出てきたりもする。
どちらもそれぞれに味わいがある。