自分の顔と名前に違和感を感じていた時期があった。
今ひとつ馴染めないでいた。
小さい頃はいつでもどこでも自分のことを「るみ」と言っていた。
一般的な一人称「わたし」を使わざるを得なくなったのはいつ頃からだったろうか。
使い始めはそれこそくすぐったいような変な感じがしていた。その感覚が嫌で、親の前では「るみ」のまま通していた(結婚や出産など諸々の通過儀礼を交わしてきたことも手伝い、ついに変えるタイミングを逸したままだ)。
使用頻度が高かった「るみ」にさえどこかで違和感があった。まして苗字など尚更、もう全く自分のものではない感じだった。
自分の名前を言ったり呼ばれたりする度にもわもわしたものを感じていた。特に名乗る時はもうこそばゆいやらなんやらむずむずしながら何とか言っていた。
けれどもある時、こんなことがあった。
当時付き合いのあった人と旅行中、ホテルにチェックインの手続きをする段で、彼が「○◯(彼の苗字)2名です」と言ったのを聞き、「おいおいちょと待て。わたしは◯◯じゃない」と咄嗟に思った。
自分の苗字以上に違和感があったのだった。
自分の顔にもやはり馴染めずに困っていた。
写真を撮られるのに一体どういう顔をしていいかわからず困り顔になってしまったり、鏡の前で途方に暮れることも度々であった。
名前と顔に不慣れなこの状態はかれこれ30歳手前まで続いただろうか。
この頃から顔と「るみ」には抵抗がなくなっていった。ようやく何かが顔と「るみ」に追いついたのかもしれない。一重だった瞼が気づいたら二重になったのもこの時期だった気がする(年齢と共に頭の皮に変化が起こった結果なのか、遺伝的なものなのかは謎だ)。
苗字に対してもお陰で前ほどの抵抗は無くなっている。