幼稚園の年少の頃、教室にはオルガンがあった。先生が弾く「ドミソ」「ドファラ」「ソシレ」を聴き分ける時間が楽しかった。年長になると教室にはアップライトピアノがあった。仮眠の時間に先生が團伊玖磨の作曲の『子守唄』(「むーかしむかしよきたのはて〜」という歌詞がついている)をピアノで弾いてくれるのだった。それがシンプルで実に美しく、耳で覚えて家のオルガンで再現したりしていた。その綺麗にピアノを弾く先生が途中から産休に入り、違う先生になってその曲が聴けなくなってしまって本当にがっかりした。
公立の小学校に通っていた頃、低学年では音楽の授業も担任が担当していた。
担任になった先生はオルガンを弾くときにどの歌にでも「ドミソ」の伴奏をつけてしまうのだった。
通知表に「たまには先生に話しに来てください」と書かれたほど先生とは話さなかったのだが、その伴奏には耐えかねて「ハ長調以外の歌の伴奏が『ドミソ』じゃ合わない」と言いに行ったがうまく伝わらなかった。その後、先生が産休に入ったのでクラス担当が変わりその伴奏からは解放された。
小学校3年からようやく音楽専科の先生になった。
歌はまあまあだったがピアノが残念だった。
ある日の放課後、廊下の突き当たりにある第一音楽室(普段は第二音楽室で授業を受けていた)からショパンのエチュード(『別れの曲』)が聴こえてきた。他の音楽の先生が弾いているのだった。生でこの曲を聴いたのは初めてだった。胸を高鳴らせながら扉越しに耳を傾けていた。
高学年の時、とうとうエチュードを弾いていたその先生が担当になった。
二時間続きの授業の休み時間に音楽の教科書の一番最後に載っていた『君が代』の伴奏をピアノで弾いて遊んでいた。
すると、先生がすっ飛んできて「そんな曲をやたらに弾くもんじゃない」と気色ばんだ。いつもは穏やかな先生なのでびっくりした。まさかこの曲に複雑な背景があるとはその頃は知らなかった。「レ」で始まって「レ」で終わる変な曲、という認識しかなかった。
その先生が授業で説明しながら弾いてくれたショパンのプレリュード(『雨だれ』)は本当に美しかった。
中学校一年の時、歌のテストのピアノ伴奏を何十人分かさせられたことがあった。どうやらピアノが苦手な先生だったようだ。歌もそんなにお上手でもなかった。器楽の専攻だったらしい。講師だったからかあまり先生臭くなくて好きだった。
中学校三年のときの音楽の選択授業担当の先生は、歌にものすごいビブラードをかける人だった。ピアノはペダルを踏みっぱなしで適当すぎる伴奏をしていてこれまた参った。
高校の時の音楽の先生は術家肌の先生で歌はピアノがとにかくうまかった。一度、先生の演奏会に行ったことがあった。ショパンのソナタの3番を弾いていた。授業ではクラシックだけではなくジャズを聴いたり作曲などもした。歌のテストもあったのだが「どんな楽器で何を演奏してもいい」というテストがあったのはすごく面白かった。
大学では音楽からはなれていたが、いつもどこかで音楽に飢えていた。ピアノは家でポロポロ弾く程度で、音楽の話をできる友達もいなかった。
大学を出てからは就職などでさらにピアノを弾く時間が持てなかった。夜にヘッドフォンで弾くためにローランドのステージピアノを大枚叩いて手に入れたりしていた。通勤の最中も音楽ばかり聴いていた。
職場が学校だったので体育館などでピアノを見かける度に「こんなにそばにあるのに弾けないなんて…」と狂おしい気持ちになっていた。
仕事を続けていくためには音楽への想いを捨てないといけないなと思った。
しかしその後、紆余曲折あって、音楽系短大に社会人入学をしてしまった。
それからまた音楽の時間が始まり今日に至っている。
自分でもなぜここまで音楽に惹かれてしまうのか分からない。
この先も音楽に惹かれ続けるのだろう。
音楽の神様はわたしの方を向いてくれているのかいないのかは分からない。けれどわたしはあなたを慕い続けてしまうのだろう。この先もずっと…